さくらのこえ
最後の慌ただしさは春宮殿だった。
まもなく開かれる宴にあちこちで人々が行き来する。
紅子もまたその内の一人で、普段より一層美しく着飾る。まるで自分の焦りを隠すように。
「大層お美しいですよ」
「そうですね、まるで太陽のように輝いていらっしゃるわ」
「当たり前じゃないの。美しくなかったら意味ないわ」
周りからの賛美に紅子はそう返す。一番その言葉を欲しい相手に早く見せたくてたまらなかった。
「準備は整いましたね」
「さ、こちらへ」
案内された場所へと進み、腰を下ろす。まだ隣には誰もいなかった。
「まもなく春宮様がいらっしゃいますのでお待ちください」
いつもは堂々としている紅子だが、入内して初の公の場とあって幾ばくか緊張していた。
冷静にと何度も深呼吸を行うが、なかなか落ち着かない。自分を見て、春宮は何て言ってくれるだろうかと淡い期待を抱く。
「大丈夫よ、春宮様は私を見てくれるわ」
小声で呟いたその声は紅子自身を鼓舞するように部屋に響く。
しばらくすると衣擦れの音が届き、春宮のやってくる足音が聞こえてきた。紅子は平静を装いながら、真っ直ぐ前を向いて居住まいを正した。
「遅くなってすまない」
「平気ですわ。宴までまだ時間はありますもの」
「そうか、ありがとう。今日は一段と華やかだね」
紅子の淡い期待は春宮の言葉で満たされてゆく。今は私を見てくれている。紅子にとってはこの時間こそが求めていたものだった。
「春の宴ですし、それに、妻として立派に貴方の隣に立てるように重ね合わせを考えたのです」
「嬉しいよ、色々と考えてくれたのだろう?春の宴にふさわしい色合いだ」
「褒めていただいて光栄ですわ」
幾ら想い人でないとはいえ、紅子を蔑ろにするつもりは春宮に無かった。覚悟を持って自分の元へと嫁いだのだ。一生懸命衣装を選んだようで、一つ年下の女の子に尊敬の念を抱く。
その優しさが相手を傷付けていることにまだ春宮は気づいてはいなかった。
「まもなく宴が開かれますのでもう少しだけお待ちください」
和春が二人に声を掛け、呼ばれた人々が次々と席に着く。春宮殿は次第に賑やかになり、空に浮かぶ満月もそれらをはっきりと照らし出す。