さくらのこえ
「何か不備などはないか。これから寒くなってくるだろうから、足りないものがあれば言ってくれ。風邪は引いていないか」
いつものようにあれこれと心配事をする和春に側にいた紅葉が小さく笑う。
「和春様、お急ぎではなかったのですか」
「あ、あー。そうだったな。つい」
居住まいを正し、先ほどとは違った真剣な和春の表情に春姫は何か良くないことでも起こったのかと心配になる。都の中心から離れてしまうと何も知る術が無く、心がざわざわと嫌な音を響かせる。
「実はしばらくの間、といってもひと月ほどなんだが……仕事でこちらには来られそうにないんだ。手紙も、毎日出すのは難しくなる。この後もすぐに戻らなくてはならない」
和春の言葉にどこかほっとしたような表情を見せる春姫に、何か間違ったことを言ってしまったのかと一歩踏み出した。
「まあまあ春姫様ったら、和春様が居なくなるとでも思ったのでしょう。ご安心くださいませ。この方はそんな真似が出来るほど冷酷ではございませんよ」
この邸に仕える、少し年齢が高めの女房が二人の間を取り持つ。この発言で、要らぬ心配をさせていたと分かった和春は思わず彼女の手を引きその腕の中に収める。
ここからは少しの間だが、二人きりにさせようと周りに控えていた者たちは静かに退出をした。
「すまない。……だが、一日でもそなたに会えないことが俺にとっては辛いことなのだ。分かってくれるだろうか」
与えられる温もりは何だか久しぶりのように感じ、耳元で優しさを含んだ声音で話しかけられたことで、春姫はただただ頷くことで精一杯だった。恥ずかしがる春姫を見つめ、思わずその額に口づける。
驚いたように顔を上げた春姫は抵抗しても無駄だということを出会ってからのこれまでで既に学習していた。観念したように、そっと和春の肩に手を置き、その唇に自身の唇を重ねた。その行為に和春は少しばかり目を見開いたが、意趣返しのつもりで春姫が自ら口づけをしたのだろうと思うと嬉しくて堪らない。
何故笑っているのだといった表情で和春を見上げている春姫もまた可愛いと、離れる時間を思うと再びその唇に口づけをする。
「忘れないでくれ。俺がこんなにもそなたを想っていることを」
伏し目がちに頷いた春姫と再び目が合い、引き寄せられるように唇が重なった。
名残惜しそうに最後にきつく春姫を抱きしめると、和春は出来る限り頻繁に手紙を書くと言い残し、仕事へと向かっていった。
残された春姫は、小さくため息をついて、彼の走らせる馬の足音を聞こえなくなるまで聞いていた。