みんな、ときどきひとり

腕を降ろして、口を閉ざし沈黙する。

わたしもなにも言わずに彼が口を開くまで、壁に貼ってあるポスターを読むわけでもないのに、しばらく見つめて待っていた。

「母親のこと、思い出してました」

「あ」

病院だからかな。

お母さんが転落死したって言ってた。

その日のこと思い出していたのかな。

病院でお母さんが亡くなったのかな。

それとも、また違う思い出なのかな。

訊いたくせに、なにも言えないわたし。情けない。

彼のこと、知りたいとか言っておいて。

「母親に、目が笑ってなくて気持ち悪いって言われてから、笑うことが恐くなった」

「え?」

「そんなんだから、母親との思い出は、あまり振り返りたくないです」

そう言うと彼は腰をあげた。

わたしは一瞬、彼の気持ちの中に入った、錯覚を憶えた。
< 325 / 354 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop