それでも君が必要だ
それって、本当は考えたくないだけなんじゃないのかな?
だって、智史さんはそもそも私を押し付けられただけで、好きになるはずがないんだもの。むしろ本当なら私は邪魔な存在のはず。
それがわかっているのに、ちょっとした言葉やしぐさにしがみついて一喜一憂している私は、真実から目をそらして、わからないふりをして逃げているだけなんじゃないのかな。
智史さんがあんまり優しくしてくれるから、この人を好きになって幸せになりたいなんて思ってしまったんじゃないのかな。
でも、現実は違う。
智史さんは会社のために私に優しくしているだけ。
父の手前、優しくしているだけ。
ただそれだけ。
だから私は心を揺らしてはいけない。
ちゃんとそのことを理解して、冷静にならないと。
この婚約の行く末を握っているのは父だもの。
智史さんは今までの婚約者と同じ。いつかは必ず離れることになる。
それを割り切って接しなければいけない。
……。
でも……。
智史さんは一瞬でも私に自由な世界を見せてくれた。
食べ物に味があるって教えてくれた。
初めて自由になりたいと思わせてくれた。
たった一日。
たったそれだけなのに。
たくさんの変化を私に教えてくれた智史さんには、とても感謝している。
だから、できるだけ智史さんの役に立ちたい。
……。
なんとなく、心が決まったような気がした。
「あの……ありがとうございました。私、もう、帰ります」
「そう?大丈夫?」
「大丈夫です」
私がハッキリとした口調でそう言った時、智史さんが私をじっと見たのがわかったけれど、あの黒い瞳と目があったら心が揺れてしまいそうで、まっすぐ前を見て気がつかないふりをした。
「……わかった。じゃあ、家の前まで送って行くよ」
「すみません。ありがとうございます」
智史さんの小さなため息と一緒に車は静かに動き始めた。