それでも君が必要だ
それから私と父がタクシーに乗って帰るまで、副社長さんは一度も私を見なかった。
帰り際、私たちが車に乗り込むと三人が揃って頭を下げたから、私もぺこりと頭を下げた。
そして、発車しても頭を下げ続ける三人が見えなくなるまで、シート越しに振り返って見つめた。
あんなに頭を下げるなんて、あの人たちはどれほどの弱みを父に握られているんだろう。
帰りのタクシーの父はご機嫌で饒舌だった。
かたくなに拒んでいた副社長さんが急に言うことを聞くようになったから、その逆転劇が気持ち良かったらしい。
かわいそうな副社長さん。
父にとっては面白い余興でも、副社長さんにとっては苦渋の選択だったに違いない。したくもない婚約を受け入れたんだもの。
本当に申し訳ないと思う。けれど、私にはどうしようもできない。
そんな私の無力も申し訳ないと思う。
家に帰り、鍵を開けて電気をつけ、父を先に中に入れてコートを受け取りハンガーに掛ける。
そしてバタバタと台所へ行き、「水!」と言われるのと同時にコップに入れた水を出す。
昔はこれを母がやっていた。
母は父がどんなに理不尽で横暴でも、いつも黙って従っていた。今思えば母も父の暴力が怖かったのかもしれない。
幼い頃からそんな光景を見ていた私にとってはこれが当たり前の生活だった。
母も私も常に父の支配下で怯えながら父の思い通りに動く生活。
でも、成長するにつれて、もしかしたらうちの家族ってちょっと変なんじゃないのかな?と気がつき始めた。
普通は殴られないらしい。
普通はもっと自由にしているらしい。
でも、それがわかったところで子どもだった私にはどうしようもなかった。
自由を得るより、その場の恐怖を回避するだけで精一杯だった。
現実を変えることなんてできない。
私は無力だもの。
だから考えないことにした。
結局、大人になっても変わらないまま。
私は母と同じだ。