それでも君が必要だ
初めてのデート
『土曜日は10時に待ち合わせましょう』
後日かかってきた電話で副社長さんからそんなことを言われて父に報告すると「そんな早くから出かけてどうするんだ」と文句を言われた。
でも、父に文句を言われても不思議と気にならなかった。
電話の向こうの副社長さんは決してお喋りではなかったけれど、とても優しい口調で話しかけてくれて、電話ごときで緊張していた私の気持ちを穏やかにしてくれた。
『行きたいお店はありますか?どこでもいいですよ?ここ、行ってみたかったなーってお店、ありませんか?』
そんなの、全然思い付かない。
「副社長さんの行きたい所に、行きたいです」
私がそう言うと、副社長さんは電話の向こうで笑った。
『ははっ、副社長さん……ね』
あ、失礼だったかな。
「すみません」
『いえ、謝るようなことじゃありませんよ。じゃあ土曜日の行き先は俺が決めても構わないですか?』
「はい」
顔は見えないけれど、この間会った時とは違う明るい喋り方。敬語だけれど、もっと距離が縮まったような……。
そんなに親しげに話しかけられると、またあの優しい瞳を思い出してしまう。
いけないと思いつつ、また会えることを心待ちにしてしまう。
明るい口調も、あの時見せた優しい瞳も、全ては会社のためだとわかっているのに。
はあっ……。
薄暗い事務所に響くファンの音を聞きながらパソコンに向かい、伝票を打ち込んで小さくため息をついた。
明日は副社長さんに会えるのに、父はまたきっと着るものを指示してくるに違いない。
それだけで気が重くなる。
そして、やっぱりあの副社長さんも……。
「栗原さぁん!ちょっとぉ、これ、なあに?」
背後から川内さんのべったりと絡みつくような声が聞こえてハッとした。