余韻
思い出
『ふるさとは遠くにありて思うもの』などともいうが、こうして久しぶりに故郷の町を歩けば、しみじみとそれを感じる。
 私が住んでいた頃は寂れた商店街があるだけだった駅前も、区画整理が行われたのか道幅は広く、並木通りに作り直されていた。駅ビル風に大手スーパーのビルが建って、昔の面影など微塵もない。
 並木道を一本裏に入れば大きなマンションが建っている。
 まったくの異郷に来てしまったような心地で、私はしばらくそのマンションを見上げていた。
「ここには、ボウリング屋があったはず……」
 いまどきのぴかぴかに電飾で飾られたアミューズメントパークにあるようなボウリング場とは違い、おそらくボーリングブームのときに建てられたのであろう白い建物は薄汚れきって遠目からは灰色に見えるほどだった。レーンの数も少なく、それでも娯楽の少ないこの町では若者の集まる場所といえばここぐらいしかなかったのだ。
 わたしも、『彼女』とデートするときにはここを良く使っていたのだが……
「30年もたてば、そりゃあ変わりもするさ」
 自分を納得させるように一人ごちて、私はふらりと歩き出す。同窓会の集合場所である中学校までは通いなれた通学路だった道だ。
 町場を抜けて住宅街へはいれば、それでも見慣れた風景がいくつか残っている。一般の住宅などというものはそうそうには建て直さぬのだから当たり前といえばそれまでだが、ここにきてやっと故郷へ帰り着いたような心地がして、私はやっと肩を下ろした。
「まるだ屋だ、まだあったんだな」
 一軒のしもた屋を覗き込む。
 ここは私が子供だった頃にはまだ駄菓子屋として営業しており、ひどく年寄りのばあさんが居眠りをしながら店番をしていた。
 もうばあさんは死んだのだろうか、店のガラス戸は締め切られ、日にあせた派手な色のカーテンで中が見えないようにふさがれている。中には人の気配すらない。
 ただ建物が残っているだけの形なき郷愁だが、それは私の足を止めさせるに十分である。
「懐かしいな」
 ガラス越しに何か懐かしい光景が見えるのではないかと一歩を踏み出したそのとき、背後から声をかけられた。
「あら、西田君じゃないの、帰ってきたの?」
 年齢というフィルターがかけられてやわらかくなってはいるが、白昼夢の中でさえ何度も聞いた声だ、忘れるはずがない。
「陽子!」
 無意識のうちに昔の……付き合っていた頃の呼び癖がでてしまい、私は振り向く間にこれを何とかごまかそうと小さく付け加えた。
「……さん」
「はあい。お久しぶりねえ」
 30年以上のときを隔ててあいまみえる彼女は、すっかり変わってしまっていた。
 顔には深いしわが刻まれており、白昼夢の中で見る若々しい姿からは程遠い。よそ行きらしい白いワンピースを着ているが、袖口から伸びた腕は枯れ木のように痩せ細っていていかにも年齢を感じさせた。
 思い出の中に在る彼女は少しふくよかで、それが彼女の愛くるしさでもあったのだからよけいに哀しい。化粧慣れして、紅のひとつまできっちりと塗られているのも哀しい。
 それでも彼女の美しさはいささかも失われてはおらず、優しげに下がった目元は昔と変わらぬ美しい輝きを放っている。その目じりの皺からは幸せな人生を笑顔で過ごしてきた女に特有のやわらかい心の温かみが感じられた。
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