月が満ちるまで
すげえ嬉しいことがあった。
彼女とは同じクラスになれた。
この学校で、1年は8クラス。結構な確率だと思う。
やっぱり姿を見られるのは嬉しい。
時折、話す声も聞ける。
まだどう話しかけたらいいのかわからない。
この気持ちがどう育っていくのかも。
新学期になって数日。
放課後、渡り廊下の端に彼女を見つけた。
口のなかで名前を転がす。
橘 風花
彼女に似合った名前だと思った。
明るい春の空に咲き誇る桜。
ふんわりと風に舞い降りる桜の花びら。
きっと春の生まれだ。
明るい日差しにたたずむ彼女の足元に、桜の花びらが吹きよせられてかたまっていた。
ドキドキと鼓動を鳴らす胸をなだめて、普通に…
なにげなく話しかけられたら……
「いま帰り?」
彼女の瞳が俺を見る。
何度も考えていた。初めて見てから自然に、普通な感じで話しかけられたら、いいって。
瞳をのぞきこむと、くりっとした二重で…なんだか鹿みたいだった。
「そう。人を待ってるの」
ちらと校舎を見上げる。この場所から見える教室に、まだ友達がいるんだろう。
せっかくのチャンス。
それが誰であれ、遅れてくれ。
「俺のことわかる?同じクラスなんだけど」
少し首を傾げる。
肩より少し長い髪が、さらりとすべる。
「渡辺くん…」
「渡辺、渡辺海斗」
「…いい名前ね」
名前を覚えてくれてた。
それに、いい名前だって。
かあっと全身の血がのぼってくる。
…やばい
顔が赤いかもしれない
「橘さんだって、きれいな名前だよね風花っていうの」
なにげない様子だけれど、俺は見逃さなかった。
彼女はぴくりと体を強張らせた。
ほんの一瞬。
なんでだろう
きれいな名前なのに。
「ふうちゃん」
振り向くと同じクラスの浦川だった。
こいつは彼女と仲がいい。
「もう帰れるよっ、おまたせ~」
「うん」
彼女がこっちを見た。
黒目がちな大きな瞳だ。
もう、いいかな
そう言ってるみたいだった。
「それじゃ…」
なにげなく、帰るふり。
背中越しにふたりの言葉が遠ざかっていく。
いいんだ。
まだ、知り合ったばかりなんだから。
耳の奥に声が残る。
わたなべくん
やばい、ホントに
すげえ可愛かった。
足元の桜を空に投げつける。
はらはらと桜は散る。
こんな日に彼女は生まれたのかもしれない。
明るく祝福された人生のために。