月が満ちるまで
遊歩道の終わりに本屋があった。
なにげなく、のぞいて彼女の足が止まる。
視線をたどると、一枚のポスターがあった。
「上村松園展」
着物を着た女性が、鼓だろうか、楽器を演奏するさまが描かれている。
ふわりと広がった袂が、躍動感があって、きれいだった。
ほんのり頬がピンクにそまって、何も言わずに、じっと見つめている。
そんな様子も、よかった。
「好きなの」
「この人の絵のなかでは、一番好き」
はにかむように笑う。
「見に行くの」
考えるように、唇に指を持っていく。かわいい唇だ。
「…行ってみたいけど、少し遠いな」
開催地は、東京だった。電車でなら、二時間で着くだろう。
そんなに遠くない。
「いいじゃない、一緒に行こうか」
精一杯の、努力。
「ううん、いいのよ」
彼女は首を振った。
「見たことあるから」
ポスターでさえ、こんなにくぎ付けになるほど見ているのに?
好きなら、本物を何度でも見たいはずだ。
ふいに言葉が蘇る。
「わたしには、おばあちゃんしかいない」
……バカだ、俺は。
そんなの経済的な理由に決まってる。
楽しむために普通にできることはいくつあるんだろう。
いったい、いままでいくつ諦めてきたんだろう。
何も言わないで、我慢してきたんだろう。
かわいそうだ
そう言ったら彼女は嫌がるだろう。
同情で好きになったわけじゃない。
でもほかの言葉で…なんて言うんだろう。