風と雪
唯一の希望
「取引をしヨウ。」
ケタケタと異形が嗤う。
翼が舞い、風が吹き込んだ。

目を見開くとそこはいつもの光景。
埃っぽい部屋。
差し込む光に目を細めれば、普段ならば着替えを済ませて下の階にある自営の店“風読み屋”へ向かう。
今はそのように動く気力もなく呆然としていた。
(あの夢か。)
夢で見た異形が脳裏に焼き付く。
忘れられない。
彼女こそ、今の自分に守るための力をくれたひと。
全てに絶望していた時に手を指し伸ばしてくれた天使。

数年前のことだった。
その時は子供とも大人ともつかないあどけない表情で、今の中性的な面立ちとは打って変わり女らしかった。
スカートを翻し、愛人の元へ駆けていく。
その姿さえ、人目を引くものがある。
普通の人間。
何の能力もなく平凡で幸せな人生。
やがて、愛人との間に子供が出来た。
仲睦まじく、同棲していた。
結婚する話を目前に、その男は赤子を連れて去ってしまった。
理由は直ぐに知った。
男が浮気をしていたのだ。
そして、その女との間に子供が出来た。
そのことは噂になった。
“哀れな女”
そう蔑む声。
フォルクハルトは生まれ故郷から遠く離れた街へ行った。
穴埋めが欲しかった。
名前を偽り、娼婦として働いた。
もはや、身も心もどうでもよくなった。
真実の愛なんて信じない。
所詮、自分の都合でしか動かない。
それこそが男……いいや、人間というものだ。
冷めた目付きで妖艶に笑ってみせる。
後ろで束ねた髪が静かに揺らめく。
客引きのみで殆ど指名はなかったが、働いている過程で彼女はある噂を耳にした。
“別の女の子供を殺した男”
男の名前は出てこなかったが、町の名前は同じだった。
そこで知った。
あの男は、自分が生んだ赤子を殺した。
どうにもやりきれない思いが込み上げた。
愛想笑いを引きつらせて、ゆっくりとその場を立ち去る。
誰も不思議には思わない。
そのくらいの取り繕いは出来ていた。
今考えてみれば、その時既に心の中で予測がついていたのかも知れない。
子供のことを思えば、自分が引き取っていればと悔やむ。
涙が出ない程、心が荒んでいた。
“死んでしまえば”とさえ思う余裕もなく、仕事をすることで何とか正気を保っていた。
やがて、指名されるようになり、何人もの客を相手にした。
穢れた身体。
身も心もどうでもいい。
随分前にそう思っていたことだ。
< 1 / 10 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop