気になるパラドクス
キュポンと音がして、グラスにワインを注ぐ、トクトクトクという小さくて可愛らしい音も聞こえた。
それから絨毯を踏んで近づいてくる彼の足音。

ワイングラスを差し出されて、無言で受けとると、黒埼さんは何も言わずに隣に立つ。

心臓の音がうるさくて、気を紛らわす為にグラスを唇に持っていった。

ひと口だけ、ワインを口に含んで飲み下すと、飲み込んだ音すら気になってドキマギしてしまう。

まったく味がわからないでいると、黒埼さんが小さく笑った。

「緊張する……?」

「……少しだけ。こういうのは、慣れてない……」

「いや。慣れなくてもいいけどね」

そう言って、黒埼さんはワインを飲んだ。

……そうなの? 慣れてなくてもいいの?

でもだって、そこそこ人生の小波くらいは生き抜いてきたのよ?

酸いも甘いも……と、呼べるほどじゃないにしろ、若い子みたいにカマトトぶるわけにも行かないし、何よりそれって私に似合わな……。

ううん。似合おうが似合わなかろうが、今、どうすればわからなくて、緊張しているのは間違いなく“私”だよね。

なろうとしても、他の人が思っているようには出来ないし、他の人がどう思おうと“私”以外にはなれないんだし。

「いいのかな?」

ポソリと呟くと、黒埼さんは私の髪を片方の肩にかけながら首を傾げる。

「何が?」

「私、きっと甘えん坊よ?」

「……それは、なんとなくわかってるかな。かなりの世話好きだし、サバサバしてみえるけど、けっこうウジウジもしてるし」

ウジウジ……そうね。してるかもしれない。

「我が儘だとも思うのよ。似合わないって言われても、可愛いものを好きなのは変えるつもりもないし」

「フリフリでヒラヒラのピンクのワンピース着てても、俺は可愛いと思うよ」

いや。それはさすがに持っていないけど。

「……と言うか、俺としては是非、可愛いエプロンつけてご飯作って欲しいかなー?」

「うーん。さすがにフリフリは苦手だから、アップリケくらいで我慢して」

「だろうな。服の趣味はフェミニンだけど、甘くないみたいだし」

微かにネックレスのチェーンを指で辿りながら、彼は小さく笑った。

「……いいの?」

「いいよ。そのままの美紅が好きだから」

うなじに吐息を感じて、目を瞑る。
微かな温もりが耳の後ろに触れて、そしてゆっくりと離れていった。
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