空蝉
「母さんは勝手にお前の見合いの話を進めているみたいだが、それは私からきちんと言っておくよ。会社のこともそうだ。充が継ぎたくないならそれでいい」

「親父……」

「家を出るのもいい。恋人と一緒に暮らすのもいい。しかし、知らないところには行かないでくれ。親というものは、子供がいくつになっても心配なんだ」


父の強い瞳に射抜かれる。

翔にそっくりな目というのが、少し悔しくもあるけれど。


充は息を吐き、「ちょっと考える時間をくれ」と言った。


父はほほ笑んで、煙草を消す。

甘いコロンがふわりと香る。



「私も私なりに、今後のことを考えてみるよ。今更、母さんとやり直せるわけもないのかもしれないが、それでもできる限り、努力してみようと思う」


充は何も言わずに車を降りた。


地下駐車場に吹き抜けた、冷たい夜の風。

涙の痕の残る頬が冷やされる。



ホテルのロビーまで戻った充だったが、そこでふと足を止め、携帯を取り出して翔に電話を掛けた。



「んー。兄貴ぃ?」


翔は寝惚けているみたいな声で電話に出た。

あまりの間抜けさに、充は先ほどのことが馬鹿らしくなったように笑いが漏れてしまう。



「色々と世話になったな、翔。今度、飯でも奢るわ」

「いや、それはいいけど。俺の車、早く返せよ。今週末、アユと遠出すんのにさぁ」

「元は俺の車じゃねぇか」

「でも、今は俺の車だろ。借りパクすんな」

「先に借りパクしたのはてめぇの方だろ」

「うっせぇ。そんなもん、もう時効だ、時効」


相変わらず、勝手なやつだなと思う。

が、言い合う気にもなれず、充は呆れたように肩をすくめた。


翔は電話口の向こうで大あくびをしながら、



「まぁ、車のことは置いといたとしても、エミと仲よくしろよなぁ」

「わかってるよ」
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