空蝉
地元のみんなに芸能人になれなかったやつだと笑われたって、大衆の前に顔を晒すことに比べたらまだマシだ。

そんな思いで、不合格を願って面接を受けに行ったのに、結果は合格だった。


どんどん、わけのわからない方に流されて行っている気がした。


もちろん契約はしなかった。

ヨシキは「親に聞いてみます」と適当なことを言って逃げてきた。




真理とエミとちひろは、話を聞き、「そんなのひどい!」と声を荒げて怒っていた。

翔とカイジは「ヨシキが嫌なら断ればよくね?」と言ってくれた。

あの美容室を紹介してくれた充も、「俺から言っといてやるから、お前もうあの店辞めろ」と、ヨシキの味方でいてくれた。



まわりに助けられたヨシキは、芸能事務所の話を断り、美容室を辞めた。




ひっそりと、普通に生きていきたいと思っていた。

小さな頃から、ずっとそれだけは変わらないことだ。


いや、その件があったから余計にもう、目立つようなことはしたくなかった。


次の仕事は、工場での単純作業。

就業中は誰とも話す必要はなく、ただ黙々と与えられたことをこなしているだけでいいのだから、こっちの方がよっぽど自分には向いていると思った。




仕事を終えたら、真理が家に来てくれる。

休みの日には、気のいい仲間たちとふざけて笑い合う。


ただそれだけの日々を繰り返したが、ヨシキにとっては十分すぎると思っていた。


これが幸せと呼べるものなのだろうなと、やっとヨシキはわかったのだ。

思えばこの頃が、ヨシキの人生の中で一番の、優しくて穏やかな時間だったろう。




しかし、やっぱり神は、ヨシキが幸せになることを許してくれない。




11月のある日のことだった。



その日は朝からとにかく冷え込みが激しかった。

お天気キャスターも「今日は1月初旬並みの気温です」と言ってた。


白い息を吐き、手を擦り合わせながら、仕事場である工場に到着した時、ヨシキの携帯がけたたましい音で着信を告げた。
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