空蝉
黒い高級車。
半ば無理やりに助手席に座らされた。
運転席で何か考えるように煙草を咥えた翔の顔は、見られなかった。
雨粒が車のボディを弾く音がする。
しばらくの沈黙が続いた後、口を開いたのは翔だった。
「何があったか言えよ」
言って、どうにかなるとも思えない。
とはいえ、誰かに吐き出したい気持ちもあったから。
「カレシなの。酒とギャンブルと女が趣味の、典型的なダメ男。気に入らないことがあったら、すぐに暴力振るう、最低なやつ」
「で、今日も殴られたわけだ?」
アユはまた顎先だけでうなづいた。
「別れたいけど、別れさせてくれないし。康介とのことで、家族や友達に迷惑掛けるようなことになったらと思ったら、私が我慢してればいいだけでしょ?」
「だからって、マジで殺されたらどうすんだよ、お前」
「しょうがないよ。あんな男と付き合った私が悪いんだもん。もう諦めてる」
「『諦めてる』なら、何で逃げた? どうして泣く必要がある?」
翔の言葉に、アユは反論もできなかった。
確かにそうだ。
口ではどうとでも言いながらも、私は結局、殺されたくないし、死にたくもないのだ。
最後の煙を吐き出し、煙草を消した翔は、
「俺がお前のこと助けてやるよ」
「……え?」
「放っとけねぇし。そんなの許せねぇじゃん? それに、これでマジでお前が殺さたりしたら、俺の寝醒めが悪くなるだろ」
「だからって……」
「な? いいから、俺に任せとけよ」
アユはまた別の涙が溢れた。