空蝉
康介はげほげほと咳をしながらも、口元を拭いながら体を起こした。



「な、何でこんなことを」

「『何で』じゃねぇだろ。荷物、返してもらうぞ。二度とこいつに近付くな」


一瞥されたアユは、慌てて畳の上に散らばっていたバッグの中身を拾い上げた。

それを胸に抱えると、「行くぞ」と翔は言った。



「待てよ、てめぇ!」


背後からの怒声。

再びふたりが顔を向けると、



「先輩だからって何様だよ、あんた! 偉そうにしやがって! いつもいつも、何でもあんたの思い通りになると思うなよ!」


叫んだ康介は、そのまま翔に突進した。

怖くなったアユが足を引いたのを見て取った翔は、身を交わし、転びそうになった康介の顔面に膝を入れた。


鼻血と一緒にすごい音を立てて康介は倒れた。



「康介。てめぇ、この街にいられると思うなよ」


聞こえているのかいないのか、ぴくりとも動かない康介に、翔は最後に脅し文句を残した。



煙草を咥えた翔は、縮み上がったままのアユに、「怪我してないか?」と、問うてくる。

アユがおずおずとうなづくと、「じゃあ、行こう」と翔は促した。


翔はさっさと行ってしまうので、アユも慌てて後を追う。


康介の方は見なかった。

心配してないと言えば嘘になるけれど、でも、心配してやる義理もない。




車に乗り込み、未だバッグを胸に抱えたままのアユは、蚊の鳴くような声で「ありがとう」と言った。




翔はそれに対して何も言わなかった。

アユは、今度は何だかよくわからない涙が溢れてきて、また声を殺して泣いた。

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