空蝉
学校が終わるタイミングを見計らったように、康介からのメールが届いた。
【これからうちに来いよ】と。
アユは重い息を吐きながらも、駅の方へと向かおうとしていた足を止め、康介の家の方へときびすを返した。
康介の家は、築何十年なのかわからないほどの、さびれたアパートだ。
鉄製の階段の塗装はすでに剥がれていて、元は何色に塗られていたのかさえ定かではない。
アユはそれでも、軋む鉄階段をのぼり、2階の203号室のドアをノックした。
チャイムは壊れたまま直されていないからだ。
少し待っていると、中からドアが開けられた。
「遅ぇんだよ」
咥え煙草で怪訝な顔をしている康介の、開口一番の悪態。
アユは心を殺して「ごめん」と言った。
康介は不機嫌な顔のまま、アユの腕を引いてドアを閉めた。
色褪せた畳の上に、いつも敷かれっ放しの万年床。
夏の夕方にも拘わらず、なぜか妙に薄暗い部屋の中で、康介の目が不意にこちらに向けられた。
「いつまでそんなとこに突っ立ってんだよ。こっちに来い」
「でも、私今日もこれからバイトあるし」
「あ?」
康介の目の色が変わった。
最後の煙を吐き出し、煙草を灰皿になじった康介は、
「何? お前、俺といるよりバイト優先? ふぜけてんじゃねぇよ。あんま俺のこと怒らせんな」
つかつかと歩み寄ってきた刹那、バチンとアユの頬を張った。
わかっていたから歯を食いしばったとはいえ、痛みはすぐに顔中に広がる。
アユはそれ以上、言うことを諦め、また「ごめん」と言った。