空蝉
「会ってもくれなかったくせに?」

「時間が合わねぇ中で、俺のために無理して遅くまで起きさせてたくなかったんだよ。また倒れられたら、それこそ俺の所為じゃねぇか」

「でも!」

「『でも』じゃねぇんだよ。俺がしたいからするっつってんだろ」


肩を震わせるちひろを抱き寄せる。

ちひろと、そしてまだ見ぬ我が子を。



「俺はサラリーマンじゃないし、多分、これから苦労させることもあると思う。もしかしたら喧嘩ばっかにだってなるかもしれない。けど、お前以外に誰が俺といられる?」

「カイジくん……」

「何があったって、俺がお前と子供を守っていくから。そのためなら何だってしてやるから」

「………」

「だから、俺と結婚して」


ちひろはカイジの胸の中で、涙ながらに何度もうなづいた。



「ごめんね。ほんとは大好きだよ。すっごく大好きだよ、カイジくんのこと」


強く、強く、カイジはちひろを抱き締めた。

そしたら自然と涙が溢れてきて。



「俺もすげぇ好きだから」


ふたりで泣き通した。


こんなに泣いたのなんて人生で初めてだったのかもしれない。

俺の涙は涸れてはいなかったんだなと思うと同時に、俺はちひろのことでなら泣けるのかもしれないと、カイジは思った。



涙は、ひどくあたたかなものだった。



愛も、命も、きっと同じくらいあたたかなものなのだろう。

カイジはそれを噛み締めながら、より強く、ちひろを抱き締めた。

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