空蝉


エミは、あの頃、確かに翔の恋人だった。




翔が高校に入学してすぐの頃から付き合い始めたらしい。

それは充も知っていたし、充だけではなくみんなが知っているくらい有名なことだった。


翔はエミを大切に思っていたはずだ。


エミもきっと、翔を心から愛していたと思う。

それは誰の目にも明らかで、充だってその頃は、エミのことを弟のカノジョという程度にしか思っていなかった。



けれど、真理が死に、母まで失った翔は、誰にも何も告げに勝手に高校を辞めて、すさみきったまま、街で喧嘩を繰り返すようになった。



誰の言葉も翔には届かなかった。

エミの言葉でさえも、あの頃の翔には届かなかったのだ。


エミはいつも泣いていた。


変わっていく翔を一番近くで見ながら、何もできずに心配しているだけのエミ。

エミは、「それでも翔と別れられないの」と、言っていた。



「このまま放っておいたら翔まで死んじゃう」、

「だから、一緒にいるのは苦しいのに、見捨てることができないの」、


「いっそ、翔が浮気でもしてくれたらいいのに」。



翔はどんなに街で喧嘩を繰り返して名を上げようとも、近寄ってきた女には目もくれなかった。

今の姿からは考えもつかないが、あの頃の翔は、それでもエミに不義理なことをするようなことはなかったのだ。


他に女でも作ってくれたら嫌いになれるのにと、思っていたエミの気持ちは、痛いくらいにわかった。


きっと、翔も翔で、エミに対しての気持ちは変わっていなかったのだと思う。

でも、だからこそ、このままだとこのふたりは共倒れしてしまうと、充は思ったから。



「俺にしとけよ」


同情だったのかもしれない。

いつも翔のことを考えて涙に濡れるエミに、「もうあいつのために泣くなよ」と、充は言ってしまったのだ。
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