十八歳の花嫁

「それは、うちの社長ではありませんね」


愛実の話を聞いた瀬崎の第一声がそれだった。


「先日、信一郎様がお宅に伺ったと思うのですが。あれが大奥様の耳に入りまして、あなたへのアプローチは環境が整ってから、とご指示が出たんです」

「環境、ですか?」

「おそらく、引っ越しは大奥様のご命令でしょう。あなたが条件を承諾されて、ご納得いただけた後、美馬の本邸に招いて席を設けるそうです。それまで、個人的な接近は慎むように、と」


道理で、信一郎があれきり連絡をして来ないはずである。

美馬に会えなかったのもそれが理由なのだろうか。
愛実がそのことを尋ねると、


「いえ、この先時間を空けるために、片付けられる仕事を急いで済ませておられます。本日も香港に出張中なんですよ」


出張には秘書も同行するが、今回はデパート関係での仕事なので瀬崎は残ったという。彼は本社専務としての藤臣の秘書で、仕事は別になるらしい。


「弟さんたちの転校手続きは私がしておきましょう」

「待ってください! 困るんです。もし、今回の話がなかったことになって、すぐにまた引っ越せと言われたら……わたしたちは路頭に迷うことになります。今度は、小さなアパートを借りる費用も出せません。ですから」

「わかりました。顧問弁護士に連絡をして、どんな形であれこの話がなくなったときは、愛実さん一家を元の状態に戻すよう、契約書を作らせましょう。契約前にお渡しした現金や贈り物などは、慰謝料や示談金の形にして返還は不要との一文も入れます。それでしたら、あなたのお母さんに賄賂を贈る者はいなくなりますよ」


そう言うと瀬崎はにっこりと笑った。

愛実の目に見る見るうちに涙が浮かぶ。
瀬崎の優しさは社長である藤臣のためなのかもしれない。それでも、愛実は温かな言葉が嬉しかった。

翌日、尚樹らは近くの公立小中学校に転校が決まり、瀬崎は約束を守ってくれたのである。

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