優しい胸に抱かれて
まだ側に立っていたマスターが口を挟む。
『このエプロンとカトラリーケース。あとは…、出窓に敷いているマットと』
あれとあれもと、指を向けながらマスターは話を続ける。
『たまたまお客さんで来てくれた大学生がファッションショーのイベントの話しをしていて、紗希ちゃんの後輩だって知って話が弾んでね。東翔大の芸術学科出だって言うから作ってもらったんだよ』
『もうマスターっ、その話は内緒だって…』
『っと、忘れてた』
口許に手を当てたマスターは、ごめん、ごめんと笑って済ます。向かいに座る彼を見ると、何か考え事をしているかのように顎を触り、聞こえてなかった様子にほっと胸を撫で下ろす。
『聞いてなかったみたいだね?』
マスターはこっそりと囁いて、コーヒーカップが乗せられたソーサーを置いて立ち去った。
『…明後日。この時間帯、時間取れる? ちょっと外回り付き合って欲しいんだ』
上の空でいた彼からの言葉に、一度も外回りというものに遭遇していなかっただけに外回りとはなんだろうと、戸惑うのは当たり前のことだった。
『はい、大丈夫です…』
どこへ連れて行かれるのか聞いても、意地悪な笑みを漏らして『内緒』と、もちろん教えてくれなかった。
『主任がカレーって、珍しいですね? お店に入った時のカレーの匂いは主任のだったんですね。私もつられてカレーにしました』
『なんだか無性に食べたくなることがあって。大概、そういう時は何故かカレーなの』
とっくに食べ終えた彼は体を斜めに傾けて、テーブルに肘をつきコーヒーを啜る。カレーライスの、最後の一掬いを皿から拾い口へと運んで飲み込んだ私は、すぐに口を開けた。
『分かる気がします。お節に飽きてカレーが食べたくなります』
『そうそう、そんな感じ?』
てっきり『そうじゃない』って同意を得られないと思っていた私は目から鱗だった。目の前でうんうんと頷いてるから、ナポリタンを食べない日もあるんだと思った。
『ナポリタンに飽きたんですか?』