優しい胸に抱かれて
 泣いて、泣いて、泣きまくって、瞼が痛く原型が分からなくなるくらいに泣きはらした顔で次の日出社した。

 彼の机からは荷物が跡形も無く消えていた。


 部長に会議室に呼び出され、出向いてみれば感情のないロボットが服を着ているかのような、あの無神経な部長に同情された。

 私は同情されたんだと思ったが、もしかすると馬鹿にされたのかもしれない。

『可哀想になるな、その顔は』

『すみません…』

『謝る必要はないが…、失恋を忘れるのには新しい恋だって言うが無理そうだな』

『部長も…、そういうことあったんですか?』

『38年も生きてればそれなりにな。…まあ、昔の話だ』

『新しい恋は…、まだ考えられません』

『そうだろうな。お前は精神面が弱すぎる、流されるな。あれこれ考えるのはいいが、もっと自信持て。今は無理だろうが、乗り越えろ。乗り越えなければ何も変わらんぞ』

 何だかよくわからない台詞を朧げに聞いていた。

 彼のいない日常を乗り越えられる日が来るなんて、考えられなかった。


『理由なんてものは知らない方がいいことだってある、事実はお前たちは終わったって事だけだ』

 出し尽くしたと思っていた涙が頬を伝う。まだ受け入れ切れていないっていうのに、目の前の無神経な上司に事実という直球を食らった。

『今は辛いかもしれない、いつか忘れる時が来る。時が解決してくれる。その時にはお前は強くなっているはずだ。忘れられるか、引きずるか、それは柏木次第だ。あいつとは同じ会社なんだ。あいつが戻ってきた時、笑えていたらお前の勝ちだ』

 淡々と話す部長の口調はいつもよりずっと穏やかで、部長じゃない誰か別の人物が乗り移っているのかとさえ思えた。


『頑張って、忘れます』

『まあ、頑張るものじゃないと思うが…。もう泣くな、こんなに部下に泣かれたのは初めてだ』

 差し出されたハンカチは丁寧にアイロンがかけられていて、奥さんの部長への愛に偉く感動してしまって、私はまたわんわんと泣いた。

『泣かしているのは部長ですっ』

『俺じゃないだろうが、ったく。俺の部下は不器用な奴ばっかりだ』

 声に出した重たい溜め息。

 会議室でのこの間、部長はタバコを吸わなかった。会話の中に部長の本心は見えなかった。


 頑張って、頑張って、忘れて。

 …昔の話だ。

 と、部長のように。

 笑って[余裕]を見せる予定だった。
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