優しい胸に抱かれて
 フラフラと総務部を後にし、間仕切りの奥に忍び込み大して重くもない鞄をどしりと机の上へ置いて、椅子に腰を下ろす。


『精神力の弱さを何とかしておけ』

 だったら今日から出社だって教えてくれればいいのに、勿体ぶって!と、発狂しそうになるのを押さえるのがやっとだ。何が『今年は愉しい一年になりそうだな』だ。そう仕向けてるのは部長だ。


 忘れていたのに突如として沸きだしてくる記憶。

 この2週間、耳の奥にこびりついて離れないあの一言、曖昧な夢のぼんやりとした声が縁取ったように形になり、はっきりとした肉声として現れた瞬間。

 まだ痺れさせるあの香りと、あの低い声。

 それだけで思っていたよりも私の心臓が抉られた。


 朝礼までまだ時間がある。置かれた鞄に額を付け、今はとにかく落ち着くのを待つしかない。

「よっ、久しぶり」

 不意に聞こえたその声に、トクンと心が跳ねる。せっかく落ち着いたのに、意地悪だ。


 パーティションで区切られた二課のフロアが一気に騒がしくなる。ほとんど出張で出払っているのにも関わらず、この賑わい。

 人だかりができ、騒然とする中に数分前に思い出された声が、自棄にはっきりと届く。

 ダメだ、ここにいたら。こういうところがダメなんだ。

 いつもいつも部長に詰めが甘いと注意受けるのはこういうことなんだ。

 顔を上げ一人納得して、人だかりができている入り口とは反対、一課側のもう一つの出入り口から、私はひっそりと気づかれないように休憩所へと姿を消した。
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