優しい胸に抱かれて
「喧嘩? 喧嘩ね、…そうかも、意見が合わないといい物もできないから。先方の思いをそれぞれに伝えるのは私たちアシスタントの仕事だから。今日は話だけのつもりだったから、私たちだけで来たけれど本来は建築士もセットなの。どうして、うちの建築士が現地調査から参加するか。どうして、うちの建築士が施工も管理も出来るか。どうして、うちの施工は設計も管理も出来るか。分かる?」

「…わかりません」

「アシスタントと建築士と施工班でイメージが違う、伝わらないって、壁にぶつかることがあるけれど、それを少しでも解消するため。それぞれの役割が解るから、理解できる」

 私に仕事の基礎を教えてくれた島野さんは、観察が犀利でクライアントの心を掴むのが上手く、絶対に妥協しないから常に何かと戦っている。

 施工のあり方を教えてくれた佐々木さんは、建築士の気持ちを手に取るように理解しているから、細部まで気を遣い、仕上げは納得するまでやり続ける。

 駆け引きの難しさを見せてくれた日下さんは、普段はぶっきらぼうだが、クライアントの前では紳士的。饒舌なだけではなく相手を引き込めるだけの腕がある。

「みんな個性的で誰もかぶらないのに、一つの店舗を造り上げるのには団結して。変な人たちでしょ?」

「それ聞いて私、先輩方がもっと好きになりました」

「それなら、よかった。今日はこれで終わり、ここから契約まで持っていけるかは、私たちの腕次第」

 腕と、自分の腕を叩く。少し考えてまた私は口を開く。

「…すごい駆け引き、見たい?」

 ぶんぶん首を縦に振る彼女を見て「今日、時間は大丈夫?」そう聞くと、ぱあっと目を大きくして首を振った。

「はいっ!」

 鞄からメモ帳を取り出し、「ちょっと待ってね」そう告げてペンを走らせる。さっと殴り書きを終えて再び鞄へとメモ帳を詰め込んだ。

「じゃあ、こっち…」

 目指していた改札を通り過ぎ、地下の歩行空間を突き進む。
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