優しい胸に抱かれて
 自動販売機が並ぶ休憩室。お湯や紙コップも置いてあり、紅茶のティーバック、コーヒーはご自由にどうぞと飲み放題。


「よかった、誰もいない」

 それもそのはず、向こうに物珍しい人がいるんだから。


 エスプレッソマシンに紙コップ置き、ボタンを押す。挽き立ての豆の香りが頭の中をリラックスさせる。注がれたコーヒーにクリームを落とすと穏やかな香りに変化するように、熱いそれを一口含ませれば、幾分か心に余裕が生まれた。

 両手で紙コップを包み込み、冷えた手先を暖めていたところにゆっくりと扉が開いた。

 体を覗かせた人物と目が合って、すぐさま目線を振り払う。


「俺にもちょうだい」

 静かに降りかかる声に、また心が飛び跳ねることになった。


 近づいてくる影に目線を合わせることなく、おもむろに立ち上がり紙コップに再びコーヒーを落とし、手早くミルクをかき混ぜる。視界に移る人影が私の指先に意識を向けているのが痛いくらいわかるから、その手つきが僅かに震える。

 大丈夫。そう言い聞かせて、近くの壁にもたれ掛かっている人にカップを手渡した。


 すらっと伸びた長い足だけを視界に入れ、それ以外は見ないようにと私は椅子の背もたれに体を預け、コーヒーを啜る。

 どうせ逃げたって追ってくるなら、逃げまどっても意味がない。それでなくても、先程から心臓が騒々しくて疲れていた。


「紗希?」

 振り落とされた私の名前を呼ぶ声は優しくて、思わず顔を上げてしまいそうになる。

 彼はもう一度私の名前を呼ぶと、信じられない一言を浴びせる。


「紗希? 綺麗になったな?」

「…なっ。な、何言ってんの」

「いや、冗談じゃなくて本気でそう思ったから」

 寧ろ本気より、冗談の方がずっといい。本気で、なんてけろっと言うから、きっと動揺を隠しきれていない。


「それに、…クリームしか入れないの覚えててくれたんだ」

 はっとして顔を上げると、ふっと優しい笑みを乗せた彼と目が合った。


 私より頭一個分、高いところで彼は涼しい顔をして視線を落とす。

 セットされていても揺れるさらさらな前髪、整った鼻立ち、すっきりとした顎。そして、瞬きをする二重の柔らかい瞳と、一緒に長い睫も伏せる。
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