優しい胸に抱かれて
こうして、優しく抱きしめられると、離れるのが惜しくなる。
『…紘平? 今年は試験受ける?』
『受けるよ』
『出向は…?』
『正直、今のところ出向は全く考えてないんだ。一つ一つ解決していってゆっくり考える。焦らない』
そう言って今度は腕に力が込められる。
そうやって強く抱きしめられると、もっと一緒にいたいと思ってしまう。
4月になって、私は彼と同じ主任になった。彼は、主任のままだった。
島野さんから電話があった。明るい口調だったが、何だか疲れたような声をしていた。
『どうだ、そっちは?』から始まって、東京はもう桜が散ったと言っていた。
『たまにはお前から電話してこいよ』
島野さんが係長だった時の名刺の役職欄は、係長兼建築デザイナーだった。彼の名刺に[建築デザイナー]と、書かれるのはいつなのだろう。
彼には彼の考え方があって、様々な選択肢は彼の意志があって選んだもの。
ゆっくり、ゆっくり。そう言い聞かされているみたいで、まるで私のペースに合わせてくれてるんじゃないかって。
嫌がることもせず、どこまでも優しくて、いつも嬉しくなるような言葉をくれるから。それだけを信じていればいいのに、好きだから離したくなくて。
一緒にいること自体が負担なんじゃないかって。
一度、手にした幸せを手放したくない思いと同じで。
一度、感じた負の思いは簡単に消えなかった。
私にできたことは、ひとまず試験が終わるまでの間。平日はなるべく彼の邪魔をしないことだった。本当は一緒にいたいのに、『一緒に勉強すればいいのに』と、言ってくれたのを『一緒にいたら私が勉強しなくなっちゃうから』そう断った。
日曜日の夜、送ってもらうその時間さえも、負担になっているような気がした。
本心じゃないことばかりが口から出て行った。
気がつけば、邪魔しているっていう思いよりも、淋しさの方が大きくなっていった。