優しい胸に抱かれて

泣き疲れたのか、それともずっと起きていたのか記憶がなくて、気がつけば夜が明けていて、帰ってきたままの格好でベッドに寝そべっていた。


会社へ行けば、いつも通りの日常に戻っているなんて淡い期待は、すぐに消えていった。

その証拠に、鏡に映る私の顔は一晩中泣いてましたと言いふらしているみたいに、ひどいものだった。

瞼が痛く泣きはらした顔で次の日出社した。


4月からなんて言っておきながら、社内に彼の姿は存在していなかった。

私の知らない間に片づけて行ったらしく、彼の机からは荷物が跡形も無く消えていた。机の引き出しが空っぽなのは、開けた時の音と感覚ですぐにわかった。


呆然と彼の席で立ち尽くしていた私を部長は会議室に呼んだ。椅子を引いて座るよう促すと、自分も対面に腰を下ろし静かに口を開けた。

『工藤は引越手続きや荷造りで今日から有給休暇だ。出社はしない、金曜が最後の出社だ。4月から出向で神戸だってことは聞いただろ?』

『…はい。だけど、それ以外何も聞けなかったです。…いつ出向が決まったのかとか、別れたい理由とか、何も…』


いつもは休憩室で自分から張り出した[禁煙]の若干黄ばんだ紙の下で、理解しづらいニュアンスで、全てを与えず自分で考えて理解しろと話す部長に、滅多に踏み入れない会議室に呼ばれた時点で、もしかしたら部長は何もかも知っていたんじゃないかって、そんな気がした。


部長は机に両肘を置き、硬く動かない顔の前で手を組んだ。

『決まったというより、自分から行くと言い出したのは12月だ』

『12月…』

『あいつの意志だ』


様子がおかしいと感じたのは12月に入った頃だった。その時から別れを意識していたのだとしたら、私はそれに気づくべきだった。


何も、見えていなかった。


『本当は邪魔だったんですよね、私が足引っ張ってばかりだから…。本当は…、嫌いだったんですかね』


だから、別れようって終わりを告げられたんだ。

だから、待たなくていいって。だったら、家族になろうなんて、期待を込めるような言葉なんかいらなかった。
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