優しい胸に抱かれて
 島野さんみたいに大事なものがない。日下さんのような信念もなければ、佐々木さんのように腕がない。平っちはいつだって真剣だから、私はそこまで真剣に向き合えていない気がしてくるし。こんな私が後輩に何を教えられるのか解らなくなる時がある。

 私に出来る事はせいぜい、みんなが脱ぎ捨てて行くサンダルを揃えることと、島野さんのセンスの無さを心配してみたり、佐々木さんたちが雨に濡れないように天気予報を伝えるくらいで、平っちのお願い事を聞いたりそんなことくらいで、どう考えてもそんなことに需要はないんだ。


 商品部との企画は何度か参加したが、商品化したのはたったの一度だった。そのおかげか商品部とは顔馴染みになった。

 捻りだしたインテリアや什器の設計図を持って行きやすくなったわけだけれど、製造してもらった什器が店舗へ納品され、自分が生み出したインテリアが形になってクライアントは喜んでくれる。私も嬉しくなる。

 その反面で、今現在の私自身が思い描いていたものとは随分かけ離れたものだから、わだかまる。


 別れたくなった理由がどこかにあるはずなのに、過去のどこを探したって見つけられない。



 週明けの月曜日。3月30日。明日から天気が崩れるとは思えないほどの快晴。清々しいはずの朝、[なぽり]に立ち寄ってからの出社は爽快とは言えない。

 日曜日いっぱい時間を掛けて出来上がったコースターは20席分ちょうど。時間的にモーニングタイムでお店にいたマスターは、受け取るとお礼を述べただけで何も聞いてこなかった。その代わり、マスターの名刺を貰った。

「来たい時にいつでもおいで。前もって連絡くれればいつでも店開けるよ」

 頷いて名刺を受け取り、私は何も言えず[なぽり]に背を向けた。

 
 マスターごめんね、ここは私にとって大事で大好きな場所だったよ。嘘じゃないよ。きっといつかまた来るよ。でも、いつかとかまたとか期待させるようなことは言いたくないんだ。口約束なんかしたくない。
< 275 / 458 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop