優しい胸に抱かれて
 日下さんの背中越しからでも伝わる、佐々木さんの初めて目の当たりにするあまりの気迫に、怯懦している証拠に足が竦む。動けないでいる私の腕を再び引き寄せた彼は小声で囁く。

「紗希、危ない。また突き飛ばされるから、こっち」

「あ、えっ…」

 2人から距離を取るかのように急に引っ張られ、声がひっくり返る。

 体が動いたことで、何かが接触してきたのは日下さんの背中だったんだと、威圧的に睨み合う2人から離れ理解した。


「ドア枠の納品日勝手に変更したのお前だよな? それだけじゃない、これから工事に入るってのに、下請けの手配全部キャンセル扱いにしただろ。土工、設備、内装どれもこれもことごとく断り入れやがって、どうしてくれんだ?」

 佐々木さんの台詞に、この場にいる全員が息を呑んだ。でも、実際に動揺したのは私と平っちだけだった。

 本日、何度この腕を掴まれたのか思い出せないくらい、私の腕を離そうとはしない彼は無表情。島野さんは「なるほどね」なんて頭を小刻みに上下運動をさせている。当の日下さんは目を細めただけだった。


「益々、意味不明。離せよ、難癖つけてんじゃねぇよ」

 緩く締められたネクタイで首元を捕まれた日下さんが、払い退けようと抵抗を示す。

 日下さんも佐々木さんに負けず劣らず、背は高いし力もある。だけど、体格では佐々木さんの方が有利だ。普段から毎日現場へと出向いているせいか力も上なのだろう。佐々木さんがぐいっと締め上げた。若干、日下さんの上体が宙へ浮いたように見えた。


「どの取引先も日下、お前が贔屓に使ってた下請けで全部が全部口を揃えて、お前から電話で断られたって言ってんだよ。二課だけじゃない、一課の工事も全部待った掛かってる。工事はストップ、スケジュールはカツカツ。何のつもりだよ?」

「何だよそれ、知らねぇよ。…俺じゃねぇって」

「昔っからいけ好かない薄気味悪い奴だと思ってたけど、戻ってきて邪魔してくれやがって。お前、あれだろ…、建築士になれなかった俺のこと馬鹿にしてんだろ? お前は建築士っていうステータスに随分固執してたよな?」


 どこから声を出しているのだろう。佐々木さんのいつものトーンじゃない。喉の奥から搾り出すような押しこもった声で、睨み殺すみたいな目つきをさせている。
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