優しい胸に抱かれて
それは入社から10日が経った朝だった。この10日間は、店舗造りの流れを映像を交えながらみっちり教わっていた。
出社すると、机の上にポンと何の感情もない書類が置かれていた。
それから毎日、誰が置いているのかわからない書類に、ただレ点を付けて合ってるか合ってないかチェックするだけの内容。ちょうどいい大きさの箱が用意されていて、何のチェックかも分からず、こなしたらその中に入れる。
『他に何か仕事ありますか?』と、声を出せないで、何に使うかわからないそれを、これでもかと定時まで時間をたっぷり掛けて、無意味にこなすだけの毎日。
17時まであと何時間と、時間をやり過ごしていた日々に少しの変化。
いつしか、机の上に書類が置かれなくなった。
気付けば自分から、あんなにできなかった声掛けをしていた。『今日は何をしたらいいですか?』、『何かお手伝いありますか』と、生まれた気持ちの余裕。
書類を置いていたのは誰でもなく、[なぽり]に初めて連れてきてくれたあの前川さんだった。
箱に溜まりに溜まった紙の山を、何の躊躇いもなくゴミ箱へ捨てた。呆気にとられる私に向けられた前川さんの眼が鋭く光る。
『何だ? 不満か?』
『あ、いえ…』
『これだけは言っておくが、辛気臭い顔した奴に自分の大事な仕事を任せられない、わかったか? 今日から俺の下で違う仕事だ。覚えることはたくさんある、覚悟はできているのか?』
『はいっ』
辛気臭い顔と言われ、気づかされる。
誤解されていたからだと思っていたが、辛気臭い顔をしていたからだと。あれはみんなの[気遣い]で、もっと早く笑っていればよかったと。
目の前で仏頂面を見せる前川さんじゃあるまいし、島野さんが言った『仏頂面』はさすがに無理がある。
そして漸く、私に任された仕事は建築士のアシスタントのアシスタントという、アシスタント見習いだった。