優しい胸に抱かれて
 後部座席にはこの車にも持ち主にも不釣り合いな、小さめのチャイルドシートが装着されていた。シートがフラットなところを見るとおそらく、新生児用だ。


「…いつ、産まれたんですか?」

「30日だ。まだ長島しか知らないんだ、言い触らすなよ」

「…おめでとう、ございます。どっちですか?」

「ああ、女の子だ。…昼で帰るのは病院行ったり洗濯したりだな、春休みの息子に飯作ってやってるからだ。病気ではない」


 休んだ理由も、早く帰っていた理由も。煙草を止めようとした理由も。産まれた子供のため。

 誰にも打ち明けなかったのは、冷やかされたくないから。


「…いい、お父さんですね。でも、子供にガキじゃあるまいしとか、ゲーム機捨てたりはダメですよ」

「馬鹿、本当にそんなことをするわけないだろ。部下に舐められない為の作り話だ」

 心配しなくても、誰も部長相手にふっかけたりしないのに。エピソードを偽ってまで威厳を見せつけなくても十分顔は怖い。冷やかそうものなら3倍くらいに返ってきそうだ。


「…部長。さっき日下さんに、会いました?」

「ムカつくって吐き捨てて帰った奴のことか」

「日下さんらしいですね。…私も部長のこと、ムカつきます」

「怒りの矛先を俺に向けるな、工藤にぶつけろ。全部受けて止めてもらえ。あいつにあんな情けない顔させることができるのはお前くらいだ」


 ポタポタ滴る雫を払うわけにもいかず、困っていると部長は信号待ちの間、後ろに腕を伸ばし「洗濯物のタオルしかないがこれでも使え」と、私に投げて寄越す。
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