優しい胸に抱かれて
 確かによく見なかった。見てしまったら、もっともっと。と、想いが駆り立てられ、抑えられなくなりそうだった。

 入れっぱなしで忘れてて、重たくて家を出る間際に置いてきた。


「お前の2年、あいつはとっくに受け止めている」

「どういう…」

 そう聞き返そうと口に出すも、割り込まれた言葉に驚いて部長を見た。


「俺が森田にしたこと、聞きたいか?」

「教えて、くれるんですか…?」

「…今から10年以上前だ。森田が出向に行っている間に、あいつと付き合ってた女を好きになった。所謂、略奪したんだ」

「…最低です」

 何も考えず、辛辣な言葉を吐いた。


「そうだな、最低だ。だがな、人を好きになることは誰にも止められないものだ」


 昔の部長だとしても、仮にもこの部長が人を好きになるということは、青天の霹靂とまでは言わないけれど。飛び込みで営業に行って、容易く案件をもらえてしまったことくらい、驚きに打たれるだろう。


 タオルから顔を離し、部長の横顔を見る。暗がりの車内で表情はよく伺えないが、すっきりしない憂愁の影を落とす。


「森田が出向に行っていた期間は5年。その女ってのは3つ下の、うちの社員だった。森田と俺の後輩だ。付き合って半年後、森田は出向。俺と違って仕事は熱心。仕事に向き合う姿勢は、そうだな…」

 少し考えた素振りをし、感慨深げに部下の名前を口にした。

「分かり易いところで日下みたいな男だったな、森田は」

 日下さんみたいな人。どうにも湧き上がるイメージはあの砕けた口調しか浮かばない。
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