優しい胸に抱かれて
 力任せに腕を振り回す。抵抗も虚しく体を抑え込まれた。


「…いってぇな! こいつっ。だから嫌だったんだ、柏木のお守りは。動くな、じっとしてろ! 火事場の馬鹿力じゃねぇんだから…」

「病院、…っ」

 日下さんのジャケットから金属の擦り合う音に、耳が反応した。

 手を忍ばせ、連なったそれを掴み取る。


 あとはこの掴まれた腕を、振り払うことだけできればいい。



「あの当時、まさかあの森田さんが崩れるとは思っていなかった。上からの嫌われ者の前川さんより、上からの信頼が厚い森田さんの方が権力者だったからね。出る杭は打たれる。…だけど、実力のある前川さんが残った」


「お前は何か勘違いしているんじゃないか? 上から嫌われようが、口が悪かろうが。人として、上司として大事な部分を見失わなかっただけだ、あの人は。部下のフォローもせず、責任も取らずに、その部下に手を汚させるような人の風上にも置けない上司は、こっちから願い下げだ」


「なるほどね。前川さんは森田さんとは真逆、対照的だってことか。だから、俺はお前らから咎めるような視線や、侮蔑されている感が払いきれないのか。時々、俺は思うよ。何をやっているんだろうってね」


「別にそんな目で見てない。ただ、いつまでそんなところにいるのかってくらいだ。ドライに割り切ろうとする今の時代に、しがらみなんてものがあるから、足の引っ張り合いと疑心暗鬼に満ちた職場環境が変わらないんだ。本末転倒も甚だしいな」


「…この作業場で、一緒に歩んでいた自分の同期が、組織に属した課長に就任するって聞いてどんなもんかと思えば…。随分、偉そうなこと言ってるよ」


「馬鹿だな。偉そうじゃなく偉いんだよ、役職だけは。まあ、こいつらはちっとも聞いてないけどな。それに、たまにいいこと言うくらいにしか思ってないしな。思い切って断ち切りたいが、断ち切れないものがしがらみなら、上手く付き合っていくしかない。たかが、役職だ。偉いも偉くないも、上も下もない。どれだけ、仕事が大事かってことだな…」
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