優しい胸に抱かれて
「…こ、紘平?」

「また、…名前、呼んでくれる気になった?」

「紘平…、す」

 好き、と言おうとした私の唇に指を持っていき、遮った紘平はゆっくりと口を開く。


「それは俺が、先に言わせて欲しいんだけど? まだ伝えきれてないしさ、紗希の言いたいこと聞けてないのに。死んじゃったら成仏できないで、紗希に付き纏うしつこいお化けになりそう…。紗希?」

 額同士をくっつけて紡がれた言葉に、やっぱり涙が溢れ出した。

「好きだよ」

「わ、たしも…」

 声よりも嗚咽が上回り、言葉にならなかった。


 ここが会社の応接間だってことも忘れて、触れるか触れないか程度に重なった唇。


「しょっぱい…」

 と、素早く脱いだジャケットを私の頭から被せ、上着ごと抱き締められる。光を遮断された紘平の胸の中で、途切れなく泣いた。



 普段通り夜まで仕事をして、終わってから行くとしたら[なぽり]だったかもしれない。そこで、自分の想いをぶつけていたとして、熱があったとしても。

 空っぽだった2年を忘れられるくらいの絶望に襲われなければ、きっと、ここまで泣きはしなかっただろう。


 どのくらい大事かを気付かされて、もう何があっても離したくない。自分の心と確かめ合った。例え、また『別れよう』と、告げられても。

 ただ単に自分の蟠りを解消したいだけの目的だったのかもしれない。でも、それを踏まえての、島野さんが仕組んだ演出だったのならば、センスがいいのか悪いのか途端にわからなくなった。


 何か不満みたいなものを言いたくもなるのに、こうして優しい胸に抱かれて、噛みつかれたように痛む頭を撫でられれば、もうどうでもいい気がしてくる。


 ここで上手に倒れられたらさぞかし気持ちがいいのだろうけど、やっぱり器用にはできていなくて。なかなか手放せない意識の片隅で、憎たらしいけど大好きなみんなはまだ騒いでいた。
< 402 / 458 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop