優しい胸に抱かれて
俺が悪者なのは構わないが、お腹を圧迫しないかと紗希が気を遣っているのがわかり、離れさせるためそうは言ったものの。

実際、風邪だったとしてどっちに転んでも、妊婦の体に障るのは否めない。

風邪なのか、頭の使い過ぎだったのか、緊張が続いたからか。はたまた、全部合算されてしまったのか。紗希の熱が下がって1週間、今では無駄に社内を走り回っている。


「へえ…、病み上がりね。ヤルことやって病み上がり?ふーん。あんた、シャツもパーカーも裏返しよ。紗希ちゃんのこの乱れた髪といい…」

耳まで赤くした紗希は焦って両手で髪を掬い整える。

その様子に、姉は紗希の首筋から鎖骨を指でツンツンなぞり、「キスマークまで付けて、かわいい」と、取って食われそうな悪魔のような笑顔を落とした。


襟ぐりの広いシャツの隙間から覗く首元に、俺が残した独占欲丸出しの印の色味と、大差ないほど紅く頬を染めた。

それをパッと手で隠した紗希を横目に、俺は「ああ、ほんとうるさい」と、心の中で吐き出し、頭をがしがし掻いた。

これでも1週間、しょうもなく脆い理性と戦ったんだ。


「…。紗希、いちいち反応しなくていいから」

言われてよく見てみれば、裏返しのパーカーは確実に違和感を訴えていた。それを体から剥ぎ取り紗希の小さな肩に掛けた。そのままソファーに座らせ、飲みかけのペットボトルを持たせた。


「なんで隠してたのよ、紗希ちゃんと寄り戻したってこと」

「隠してたわけじゃないよ、まだ1週間くらいだったから。着替えるんだから着いてくるなよ」

鬱陶しい姉を寝室から追い払い、裏返しついでにシャツを取替えカーディガンを羽織り、身なりを整え顔を洗う。


リビングに戻ると、どうやら冷たい態度の弟よりも愛想よくかわいい彼女の方がお気に入りらしい。紗希の隣で興味深々と、目をぎらつかせていた。


前にもこんなことがあったな。初めて2人が対面した時だ。と、懐かしい記憶を取り出し、2人を眺める。


「ここに来たらコーヒーが飲みたくなっちゃう」

「あ!」

はっとした顔で俺を見る。そうそうと小さく頷くと、嬉しそうに笑顔になる紗希。

日下に頼んで買ってきてもらったコーヒーにはカフェインレスコーヒーも含まれていた。それを思い出したのだろう。
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