優しい胸に抱かれて
たった二つしか違わないのに、彼は随分と大人な男の人に見えた。仕事ができて、優しくて、格好良くて、頭がいい。
いつも私を助けてくれて『大丈夫』と言い聞かせてきた。そんな彼が初めて、陰りを纏ったやり切れない表情の中に見せた[不安]。
話を聞くだけしかできない。気の利いたことも言えない。
前川さんが話してくれた言葉。
『みんなの背中を見て盗め。教えてくださいって言って来るうちはまだ誰も期待はしていない』
まだまだ期待されていないのはわかっていた。
もっと、もっと。役に立ちたい。話を聞くだけじゃなくて、いつも助けられてばかりいるんじゃなくて。[不安]を一気に払拭させるくらいの力が欲しい。そう本気で思った。
それから、人はいないのに仕事量は減らないとういう毎日が続いていた。この時から求人や中途採用を取り入れるようになり、入社した全員が今ここにいる。
『困っている時はお互いさま』、何かの合い言葉かのように毎日唱え合う。ほんの数ヶ月の間とはいえやってもやっても仕事が片付かなく、一番ハードで、だけど、一番楽しい時間だった。
まだ覚えたての私でも、必要とされているのが本当に嬉しかったんだ。
当時解らなかった言葉が、今は手に取るように解る。
5年後なんて考えたことがなかった。あの時間を必死で駆け回るだけで精一杯だった。
5年の間に、得たものがあれば失ったものもある。どちらが多いかなんて天秤にかけたって計れない。
いっぱい躓いて、たまに転んで立ち上がってもまた躓いて。時には大怪我をして、痛いのが解っているのにまた転んで痛みを生む。
仕事を覚えて、少しずつ解ってくる。余裕が出来てもそれでも、また転ぶ。
あの頃より色んなことが解ってきて、すっかり大人の味も解ってきて。解れば解るほど転ぶことを恐れてしまう。怖いのに失敗ばかり繰り返す。
「今期は随分と愉しい一年になりそうだな」
あの頃のメンバーが久し振りに揃うから。
先が見えていて5年なんて時間を例えたのか、どこまで未来を見越しているのかは謎でしかないけれど、5年も前から掌で踊らされていたのかと考えるとやっぱり悔しい。
これでも、あの非常冷酷な部長を尊敬している。時々、言動の端々に侮辱を含み、隅の方に追いやられあざ笑われるが、私の為に言ってくれているが解るから。
もし今、部長がこの会社を去るとしたら、あの時みんなが口を揃えて着いて行くと言ったように、きっと私も着いて行く。
もう少しだけ部長の描くストーリーに沿って演じてもいいかなって思ったりするから、簡単に転がされてるのかもしれない。