優しい胸に抱かれて
 首を傾げる私に部長はさらりとこんな言葉を突きつけてきた。


「あいつの携帯の番号は変わってないぞ」

 その一言に、目を見張る私をせせら笑う。

「それとも、消したか?」

 更に、持ち上げた口角に皮肉を含ませる。

 あわよくば部長から一報を、なんて甘い考えを即座に撤収させた。

 それはつまり、電話番号知ってるんだから自分から電話しろ。そういうことだ。消せなかったことを見破られて、唇を噛みしめる。

「っ、失礼します!」

 一礼して乱暴な足取りで部長のデスクから立ち去り、わざと聞こえるくらいに「意地悪、悪趣味、パワハラ、無神経」などの暴言とも取れる憎まれ口を振り巻いた。背後からまだ聞こえる、悪意に満ちた愉しげな笑い声に耳を塞ぐ。


 さっきから皮肉ばかりで嫌になる。それにいちいち分かり易いくらいの反応をしてしまうから、自分に呆れる。


 自分の席に戻り鞄からスマホを取り出した。それを机の上に置き、アドレス帳を操作しながら、ジャケットの左ポケットから会社から与えられているガラケーを引っ張り出す。

 久しぶりにスマホの画面に登場した彼の名前に胸が締め付けられる。削除できないどころか、機種変もできなかった。

 消せなったその番号を携帯に打ち込むと、席を立ち人気のない休憩室へと向かう。息を思い切り吸い込み、そこでようやく発信ボタンを押した。

 電話を掛ける単純な行為に掌に汗が滲む。こんなみっともない姿は後輩には見せられない。


 相手は携帯を気にしていたのか、コールが鳴り始める前に電話に出た。

「はい、工藤です」

 他人行儀な名乗りに、携帯を持つ手が震えて強ばる私は「柏木です、どこにいますか?」と、思ったよりも平常心で言えたことに自画自賛してしまいそうになった。

「荷物届いた? わかった、そっち行く」

 一言、二言交わした業務連絡。最初に電話口から届いた余所行きの声色から一変し、柔らかく澄んだ声に、またトクンと何かが揺れた。
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