優しい胸に抱かれて
「新車の匂い…」

「昨日、納車だったから」

 ふと呟いた台詞にもこぼさず拾う。

 だから、彼女のものとか無駄なものが置いてないんだ。新車の匂いと物がないことと、どちらのことも納得して小さく頷いた。

 新車だけあって静かなエンジン音とアスファルトを擦るタイヤの音が届くだけ。ラジオも音楽もなし。この状態で旭川までと考えると気が遠くなりそうで、早くも心が折れそうだった。


 しばらく走ると車は高速道路へと進み、あとは真っ直ぐ旭川に向かって行くだけだった。

「…就任早々、すみません」

 正直、こうなると話すことがない。話さないにこしたことはない。しかし、この沈黙に窒息しそうになって、せめて労いは必要かと言葉にする。

「…謝らなくていいって、これも仕事。困っている時はお互いさま、だろ?」

 そう、はにかんで「なんてな、どのみち会社にいてもみんないないんじゃしょうがないんだよな。俺の方が困ってた」と、困惑顔でそう続けた。

 合わさった瞳同士が一瞬で離れていく、彼はフロントガラスのずっと先に、私はぱっと逸らして助手席の窓の向こう側。


 本気で話すことがなくなった。元彼と一緒にいるということがこんなに生きた心地がしないものだとは知らなかった。まだ会うだけならいい、適当に逃げられる。仕事中でその上密室、息をするのも忘れてしまいそうになる。

 気まずい、そんな空気が流れているように感じるのは、どうみても私だけ。隣の彼はどうだろうかと、ちら見してみるがへっちゃらな顔で運転を楽しんでいる。
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