優しい胸に抱かれて
 いつもはそこのコンビニで、お弁当を買うか適当にカップ麺でさっと昼食済ませ、そのままパソコンの画面と向かい合ったり、あちこちに電話を掛けたり、営業に出て行ったり、そんな忙しいのが好きな部長が、悠長にランチ。

 島野さんや佐々木さんの口の悪さや態度の悪さ、手が出るなんてものは可愛くて、この部長は容赦なくて本当に曲者だった。


 何だか嫌な予感がする。胸騒ぎに近い嫌な予感。頭の中にいるもう一人の鈍い私が行きたくないと言っている。それは足の冷たさのせいだろうか。

 しかも、わざわざ私とランチって。たまたま声を掛けたとは到底思えない。


 行きつけの洋食屋[なぽり]までの間、私の頭の中で警報が鳴り続ける。が、今更断るわけにもいかない。


 数歩前を悠々に歩く部長の後ろ姿が、いつも以上に大きく感じられた。

 雪がちらちら舞う3月半ば、身震いを覚えたのは寒いからだと言い聞かせる。


 不器用ながらに必死で追いつき、古い佇まいの店の扉を開け中へ入ると、今日も店内はお腹を空かせた常連さんで賑わっている。洋食屋のマスターが「部長さん、紗希ちゃん。お疲れ様」と、カウンター越しから私と部長をいつもの定位置のテーブルへと促した。


 一番奥の道路側の二人用のテーブルが専ら定位置。大学生バイトのさゆりちゃんが水とおしぼりを持ってきて、「決まりましたらお呼びください」と、メニューを置いて笑顔で厨房へと消えて行く。


 ここに通い続けて5年になる。ランチだけではなく夜だってたまに来るし、会議の後や打ち合わせにも使うことがあった。席は全部で20席しかないないためこの時間はすぐに埋まってしまう。


「私はオムライスで。前川部長は何にしますか?」

 メニューを差し出すも断られ、胸ポケットから取り出したタバコに火を点けた。


「俺は、ナポリタンでいい」

 息を飲む私の前で余裕な表情を向ける部長の口から、天井に向けて吐き出された煙は穏やかな間接照明を包み込んだ。

「…珍しいですね、部長がナポリタンなんて」

「たまにはいいだろ」

 意味あり気に妖艶な口元を浮かべているが、紫煙を燻らかせたその目は少しも笑っていない。

 どういうわけか居ても立っても居られなくなった私は、気を紛らせるために水を一口喉の奥へ流し込む。

 覚え立ての嫌な予感。

 それは、標的となる的を正確に探し当て捕らえて離さないと、言わんばかりの部長の黙した瞳が語っていた。
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