優しい胸に抱かれて
当時付き合っていた人のアパート。インターホンを鳴らしても応答がなかった。
『…いない、か』
あと30分、終電まで待ってみよう。
階段を上がったところに座り込む。マフラー持ってくれば良かったと、首元が心無し寒かった。吐く息は真っ白な輪郭を作り、闇の中に消えていく。
11月中旬、雪はまだ降ってはいなかったが、それも時間の問題であと1週間もすれば雪が舞い降りてくると、朝のニュースでやっていたのを思い出す。
先週は会えなかった。その前の週も会えなかった。今日は、会えるかどうかわからなかった。
それでも待っていたのは、どうしても確かめたいことがあったからだ。
寝静まりかけているひっそりとした住宅街に響き渡る二つの声に、立ち上がって鉄格子の下を覗く。二つのうちの一つの影を確認して、鉄階段を音を立てないで下りるのに苦戦した。
下りて二つの影の前に立ちはだかり、行く手を塞いだまでは良かったが、それからどうするかまでは考えていなかった。
女の人と男の人は腕を組んでいて、男の方とは面識があるのにまるで知らない人に見えた。
『誰この子? 妹?』
『…あぁ、ちょっとだけ付き合ってた女だっけ』
『えー、ロリコンだったのー?』
『まだ俺の彼女とか思ってんの? 悪いんだけど、もうとっくに終わってんだけど。一緒に歩けばロリコンって笑われるし、何か言えばすぐ怒るし。仕事忙しいなら別にいいから。俺、他に女いるし、もう来なくていいし』
女の人は私を見て笑って、男の方はそんなようなことを言っていた。
『わかった。もう二度と来ない』
そう言った次の瞬間、駆けだしていた。
確かめたいことをきちんと確認できたのに、逃げるように走り続けた。必死で走った。息が続かなくなって地下鉄の入り口で立ち止まる。
シャッターは閉じていて時計を見ればとっくに終電は終わっていた。
薄々わかっていた。最後に会ったのは思い出すのが難しい、1ヶ月以上。もう2ヶ月だろうか。そのくらい曖昧で、彼氏と呼べる人だったのかさえ曖昧だった。
金曜の夜、遅い時間からでしか会うことが出来なくて、23時過ぎまでどう時間をやりくりするかそればかり考えて、縋るように映画館で時間を潰す。
何やってんだろうって、何度も自分に問いかけた。彼氏と思っていなければ、空しくなるだけだった。
二股かけられていたのか、それとも元々私は彼女じゃなかったのか。
きちんと確かめられれば、私の中だけで処理されなかったこの関係はやっと終わる。今日で終わりに出来なければ、また来週に持ち越されるだけだった。