優しい胸に抱かれて
 今抱えている店舗改装の案件や予算が合わない店舗の資金繰り状況、本来は会社で繰り広げるはずの内容を、何故か詳しく聞きたがる部長に不信に思いながら簡潔に報告する。

 一通り食べ尽くし、食後のコーヒーを口に含んだ。その瞬間を見計らったかのように、部長は2本目のタバコに火を灯した。

 タバコを吸うのは今から大事な話をするぞ、という合図。誰かが教えてくれたわけではないそれは、明瞭で今にも話を切り出そうとしているのが目に取れた。


 それをどうしても聞きたくない話だと決めつけて、私は分かり易いくらいに下を向いて静かに待った。


「工藤が神戸から戻ってくる。一課長代理としてな」

 手にしたカップに残るコーヒーがぐらりと揺れた。騒々しい店内の客席の一つで、静かに放たれた一言は心を急激に掻き回した。

 襲う眩暈に揺れる視界。たまらず耳を塞ぎたくなった。


 ここへ来たのは偶然ではなく、仕組まれた意図的なものだった。それは入る前からわかっていたのかもしれないのに。

 あの嫌な胸騒ぎは的確に私の弱いところを捉え掻き回す。


 何か言わなきゃと顔を上げ、口を開けるも言葉は出て来なかった。

 やっと平常心を保ち声にすることが出来たのは、部長が食後3本目のタバコに火を近づけるところだった。


「…それを言うために、わざわざ私を追って来たんですか?」

「まあな。それとも…、教えない方が良かったか?」

 コーヒーを飲み干して、私に目線を合わせると部長特有の意地の悪い含み笑いを浮かべる。


「…いえ、教えて頂きありがとうございます」

「辞める、とか言い出すなよ」

「考えておきます」

 頭の中に空洞が出来て、考える余裕なんてあるわけがなかった。ここにきて叩きつけられたものが、重くのし掛かり歪みそうになっているのに。
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