優しい胸に抱かれて
「工藤がいなくなってから、人一倍頑張っていたのは他でもなくお前だ、柏木。じゃなかったらお前は主任のままだったし、もちろん係長にはなれなかった」

「私は…、出世したかったわけじゃありません」

「じゃあ、どうしたかったんだ? 何のために頑張ってきたんだ?」

「どうもこうもありません」

「お前がどう捉えようが、事実は事実として受け入れろ」

「…部長。だからナポリタン、頼んだんですね?」

「それは覚えてるってことか?」

 しまったと、思わず顔を上げる。すっかり部長のペースに引き込まれ、口走った[ナポリタン]のワード。それには触れないでいたのに。


 目がバチリと合うと、部長は口角を上げて鼻で笑う。相変わらずその瞳には笑みはなかった。


「さすがに忘れられないか、あんなに毎日食っていたら。あいつの好物だったよな、ナポリタンは。忘れられないのはナポリタンだけか、それともあいつを、か?」


 わかっているくせに、それをわざわざ言わせたかったんだと気付く。今の台詞を突きつけたかっただけ。


 廻りくどく仕事の話を聞きたがったのは、完全に油断させるため。反応を見て面白がっているだけ。


 部長がそれ程、優しい人ではないのは重々承知だ。

 引っかかったってことはまだ甘い、まだまだ弱いって言われているのと同じだった。


 どう反応するか、どう答えるかなんてそんな簡単なこと最初からお見通しで、私は部長の手の平で力は使わず軽く転がされて、部長が描いたストーリーのまま事が進む。いつだって躍らされている。

 いつものことだった。
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