優しい胸に抱かれて
『私、仮免落ちてるんです。路上出て、戻ってきて。ほっとしたら脱輪して…』
『あはは。なんかそれわかる。柏木らしいミスだな?』
『やっぱり…。その時思いました、運転のセンスはないって』
『うーん、それは練習次第。何でも慣れだろ? まあ、柏木は助手席専門だな? それとも、今度は営業車乗る?』
『会社の車って…、マニュアルですよね。出来ると思ってないくせに主任は意地悪ですね』
『くっくっ。エンストして前に進まなくて、困ってる顔が浮かぶ』
『ほら、それです。普段は優しいのに、その笑い方の時の主任は意地悪なんです』
声を押し殺すような笑うのを我慢している時の彼はいつも意地悪を言った。
『あはは。つい、反応が真面目だからさ。ごめん、ごめん。ほら、乗った、乗った』
機嫌を取るかのように助手席のドアを開ける。渋々乗り込んで、まだ笑いを堪えている彼をじろりと睨みつける。『あははっ。その顔、説得力ないって』と、外で大笑いしていた。
私に鋭くじっと見つめられて運転席へ腰を掛けた途端、彼は観念したかのように『…笑ってごめんなさい』って肩を竦めた。私はそれを満足そうに眺めて笑った。
走り出した車は迷うことなく確実に私の家へと向かっていた。楽しい時間はあっという間に終わってしまう。最後に笑えて良かった。
もう週末に荷物を抱えて、レイトショーで時間を潰すこともなくなったんだ。
来週、映画館に行けば彼に会えるのだろうか。『来るのが癖になってた』とか。足を運ぶ理由がなくなったのに、何か別の言い訳を探していた。
『…来週の金曜日のレイトショー。一緒に行く?』
『…え?』
まさかの台詞に聞き間違いじゃないかと、びっくりした私は瞳をひん剥いて彼の横顔を見つめた。
『ちゃんと帰りは送るから。その重たい荷物はもういらないだろ?』
黙って頷いて、心の中を探られたくなくて伏せた瞳。本当に嬉しかった。