優しい胸に抱かれて
ただ、嬉しいだけじゃなく少しだけ切なくなった。
『家出するような年じゃありません』
『…だから、そういうことじゃないって』
『え…、どういうことですか?』
小樽に向かう車の中。あの時、私は後に続いた台詞に聞こえないフリをした。
『重たい鞄抱えても苦にならないくらい、それだけ相手のこと好きだったんだな』
ごにょごにょと小さな声だった。けれど、はっきりと聞き取れる言葉だった。
そんな風に言われちゃったら涙が出そうになって、そんな風に受け取られてるのかと思ったら、悲しくなった。
だからこの時も、私は気づかないフリをした。それはもしかしたら恋心なのかもしれないってことを。
たったの1日。一緒に過ごして楽しいって思ってしまっていた。
優しさに甘えているだけかもしれなくて、なんてずるいんだろうって思うのに。
気づかないようにすればするほど、意識が絡まってがんじがらめになった。
この日、私はいくつかの過ちをしていた。
夜中に電話を掛けてしまったこと。
タクシーで帰らなかったこと。
小樽へ行く前に帰ればよかったこと。
聞こえないフリをしたこと。
運転の練習なんてしなければよかったこと。
レイトショーの誘いは断ればよかったこと。
最後に。
一緒にいて楽しいと思ったこと。
次の週の金曜日。仕事終わりに彼の車の助手席で、私は少しの荷物を抱えて座っていた。
『…で、その荷物は何?』
『…着替えです』
『うん、見ればわかる。朝と格好が違うから。何で?』
『スーツが窮屈だから…?』
上手い言い訳が見つからない。窮屈だと思ったのは本当で、スーツなんて仕事着でせっかく彼と一緒に映画を観るのに、仕事の延長線上みたいな気がしたから微々たる反発だった。
それから、毎週ではなかったけれど金曜日は二人で映画を観て、映画館の通路から広間で飾り付けされたクリスマスツリーを見下ろし、大通公園のホワイトイルミネーションを眺めた。
吐き出した息が真っ白に凍り、会う回数を重ねるごとに切なさが増えていった。
気づいちゃダメ。
見て見ぬ振りをして、あのまま見逃していたら、どうなっていたのだろう。
それでも私は好きになっていたのだろうか。
それでも好きになっていたに違いないから。
いくつかの選択を見誤っていなければ、どうだったのだろうと。答えのない答えを探してしまっている。