オフィスのくすり
 一瞬の間を置いて、どたどたという足音がした。

 妻が帰ってきたというのに、何か信じられないものでも見たかのように夫は目を見開く。

「……ただいま」
とその頓狂な顔に向かって言う。

 緊張を読み取られないよう俯き、靴を脱ぐような仕草をしたとき、

「お帰りーー」
という小さな声がした。

 顔を上げると、ほっとしたように笑いかけてくる夫の顔があった。

「ただいま」

 もう一度そう繰り返した私は、鞄を突き出し、微笑んだ。

「あー、疲れた。
 荷物くらい持ってよね~。

 ご飯まだある?」

「一度くらい作ってから言え。

 ……ないこともない」

 そんな旦那のぼやきを聞きながら、笑って廊下を歩き出す。

 まだ足に馴染んでいない艶のある古い床が、確かに自分の家だと感じられるようになるまで、何度も此処を踏みしめられる自分で居たいーー。

 そう願った。





                        完

< 30 / 30 >

ひとこと感想を投票しよう!

あなたはこの作品を・・・

と評価しました。
すべての感想数:85

この作品の感想を3つまで選択できます。

この作家の他の作品

同窓会に行ったら、知らない人がとなりに座っていました

総文字数/121,996

恋愛(ラブコメ)521ページ

表紙を見る
苦手な上司にプロポーズすることになりました

総文字数/94,615

恋愛(オフィスラブ)379ページ

表紙を見る

この作品を見ている人にオススメ

読み込み中…

この作品をシェア

pagetop