ほとんどパラダイス
最後の舞踊が始まった。

昨日は客席どころか、ご一緒に踊ってらっしゃる役者さん達すら目に入ってないように見えたけど、今日は必死さが見えた。
まあ、やっと正気になったというだけなのだけど。

終演後、お家元はため息をついた。
「とりあえず、早寝早起き、三食きっちり食べて、体を戻さんとあかんな。話にならんわ。」

……常々私が言われてきた言葉なので、ちょっと笑ってしまったけど、慌てて頭を下げた。
「よろしくお願いします。」

「じゃあ、私はココで。ありがとうございました。学美さん、和成さんとご一緒にお稽古にいらしてくださいね。」
そう言って、明子ちゃんは劇場を出ると勢いよく前のめりに歩いてった。

「……ご一緒じゃないんですか?」
お家元にそうお伺いすると、艶然と笑われた。
「孫とデートですわ。2人とも忙しいしてるから、たまには解放したげんと、な。」
素敵なおばあさまな一面を垣間見た。

が、上総(かずさ)んと合流すると、お家元は鬼の形相になった。
「なんや、あれ。」
扇子を投げつけるんじゃないかと、隣で見ていた私もビビった。

上総んは痩せた身体をさらに一回り小さくさせた。
「情けない。身体縮こまってましたわ。あんたの性根(しょうね)の小さいとこ、そのまんまでしたわ。」

……身も蓋もないな。
さすがに上総んがかわいそうに感じた。
確かに、器の大きな男とは思わないけど……優しいよ?
オロオロしてると、お家元が私に笑顔を作ってくれた。

「心を鬼にして怒ったり突き放したりするんは、ほんま、つらいなあ。でも、この子ぉには逆効果みたいやし、全部、水に流して一からやり直してくれるか?」

私?
驚いたけれど、私は操られるようにうなずいていた。
……この感じ……また、だ。
松尾先生、祇園のおかあさん、芳澤のお家元……どうやら私は、年輩の女性に弱いらしい。
自分では気づいてなかったけど、もう長いこと逢ってない実の母へのコンプレックスか、それとも母に代わって私を育ててくれた祖母を重ねるのか……。
まあ、害はないからいいけど、今度山崎医師に聞いてみようかな。

地下鉄と電車を乗り継いで、京都へ向かった。
「食事より早よお稽古したいけど、準備してくださってるし、和成ちゃんにはしっかり食事してほしいから、いただきましょか。」
お家元に促され、2年ぶりに祇園のお茶屋さんのお座敷で美味しい仕出し料理のご相伴にあずかった。

お薬を奪ってから5時間以上経過している。
上総んが変調を来(きた)さないか気をつけて観察していたけれど、何となく大丈夫そうだ。
私がそばにいるだけで、心が落ち着いているらしい。
目が合う度に、上総んの不安そうな目に安堵の色が浮かぶのがわかった。
……まあ、うれしいけど……今後のことが思いやられるかも。

今晩、どうしよう。
中野大先生は、たぶんとっくにおやすみだろうなあ。

うーん。
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