ほとんどパラダイス
「しかし、あれだけ飲んだのに、顔、むくんでないね。」

上総さんのペースで、あれよあれよと言う間に、私は椅子に座らされ、ケープがわりにタオルを肩にかけられ、顔をマッサージされていた。

だまってむくれてる私に、上総さんはどんどん化粧を施していく。

「ほら、いつまでもそんな顔してないで。単に、俺が昨日急に宿泊お願いしたから、他に部屋が空いてなかっただけなんだから。てか、俺的には、いつもの宿泊料でイイ部屋に泊めてもらってラッキーだったよ。こんなことなら、学美も引き留めればよかったね。」

……急に、って言った?
驚いて、見上げた。
「もしかして、本当は昨日のうちに帰る予定だったんですか?」

上総さんの表情がサッと変わった。
ばつが悪そう。

「わざわざ、泊まったの?勢いで誘ってしまったから?」
「勢いで、って!……普通は『私のために?』って感動するとこじゃない?」
苦笑して上総さんが言った。

「はあ?阿呆ちゃう?何で私が感動するの。勝手に下心抱いて、勝手に部屋取ったんでしょ?」

やれやれ、と、上総さんは肩をすくめた。
「一旦、口閉じようか?あと、口紅だから。……こうして黙ってたら、そこらのアイドルよりはるかにかわいくて、綺麗で、品もあるのに……」

唇をなぞる紅筆がくすぐったくて笑いたいけど、我慢して上総さんを見上げてた。

「はい、出来上がり。鏡。どや?」
まさしく、どや顔で上総さんは鏡をくれた。

……なるほど、童話のお姫様のように華やかな美人がそこに映っていた。


「さ~。朝飯行こ。朝粥、頼んでるし。」
上総(かずさ)さんは、上機嫌で私の手を引いて、ホテルの外へ連れ出した。
7時を過ぎて、人通りもけっこうあるので、何だか気恥ずかしかった。

「いいんですか?こんな……手ぇつないでて。」
「何で?俺、独身。まだ有名人でもないし、いいやん。」

まだ、という言葉に引っかかった。
「これから有名になる予定なんですか?」

上総さんの顔から笑顔が消えた。
「……さあ、どうかな。」

あ、なんか、投げやり。
何だろう、この感じ。
ちょっと、不思議な気がした。

「ここ?」
連れて来られたお店は……お店と言っていいのかな。
いわゆる祇園の、お茶屋さんだった。

「そう、ここ。……おかあさん、おはようさん。」
上総さんは、少し声を張って、バリバリ京都のイントネーションでそう言って引き戸を開けた。
中からは、「おかあさん」というよりは「おばあさん」の雰囲気の、ちょっと怖そうな老女が出てきた。

「へえ、おはようさんどす。かず坊、遅かったやないの。」

かずぼー……。
そういえば、本名は和成(かずなり)さんだっけ。
それに祇園育ちって……てことは、昔からご存じのかたなのかしら。

「堪忍。ちょっと……」
「すみません。私が始発に乗らなかったせいです。ごめんなさい。」

ぶしつけにジロジロと値踏みされてることに耐えられず、思わずそう口を出した。

「始発!」
怖そうなおかあさんが、すっとんきょうな声でそう言ってから、笑い出した。

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