ほとんどパラダイス
「あ、はい。そうです。……わかりますか?」

おかあさんは、何度もうなずいた。
「はあ、そうですかぁ。やっぱり、今時のお嬢さんにしたら、ちゃんとしてはると思いましたわ。畳の歩き方も、床の間の見方も、お箸の上げ下ろしも、お茶碗の持ち方も」

……そんなところを見られて、判断されてたのか。
全部無意識だったので、冷や汗が流れるわ。

「お茶たてられはるんやったら、アルバイト、紹介しましょか?旅館やら、舞踊会やらで、綺麗な着物でお点前するん。学美さんやったら、みなさん、喜ばはるわ。」
おかあさんが突然そう言い出した。

「……あの、ありがたいお話なんですけど、私、自分でメークできませんし、素顔はこんなに綺麗じゃありませんが……」

上総(かずさ)さんが、肩を震わせて笑いをこらえてる。

「ほな、かず坊が顔作ったん?へえ〜。」
おかあさんにそう聞かれて、上総さんはうなずいてから、私に向かった。

「ちょうどいいんじゃない?化粧の練習になるし、東京に来る金もできるし。」

そんなこと、言われても……。

私は途方に暮れた。
そもそも、そこに私の意志はないじゃないか。
別に私は、化粧に興味ないし、東京に行きたいとも思わない。

「ちょうどええのは、上総さんの都合だけでしょ。」
だんだんイライラしてきて、ついそう言ってしまった。

上総さんは首を少しかしげた。
「そう?」
そして、しばし考えたらしい。
「……そっか。俺の片想いか。」
と、あからさまにガッカリして見せた。

……胸が痛い。

「何か、ずるい。」

……言葉に、仕草に、瞳に翻弄されてる。

「ずるいか?別に、駆け引きしてるわけでもないのに?」
さらりとそう言ったあと、上総さんは真面目に言った。

「……凝り固まった学美を解放してやりたいと思った。学美が昔の俺に似てる気がした。ほっとけへんわ。」

「昨日もそう言ってたけど……どういう意味?」

……ドキドキする。

お願い、それ以上、言わないで。

祈るような気持ちで、上総さんの言葉を待ってる自分が、こっけいで、惨めで、哀れだ。

でも、上総さんは、私の望む言葉を過不足なくくれた。

「好き、って意味。」

……それも、昨日とは違う、心からの極上の笑顔で。
絞め殺したくてやりたくなった。

ぐらりと、足下から世界がひっくり返ってしまった。
普通に座ってることすらできない。
私は、両手を畳につけて、じっと姿勢をキープした。

「学美?」
いつまでも変な姿勢で動かない私を心配したらしく、上総さんが近づいてくる。

来ないで。
話しかけないで。
触らないで。

……そう言いたいのに言葉にならない。
顔から火が出てるんじゃないの?ってぐらい、頬が熱い。
どうしても口元が緩んでくるのを隠したくて、顔をそむけた。

さっきまで戸口のところにいらしたおかあさんの姿が消えていた。

この状況……やばい。
自分を律することができない。

流されてしまう。
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