ほとんどパラダイス
「……て、何で峠(とうげ)くんもいるの?君はちゃんと客席にいないと、単位もらえないんじゃないの?」

上総(かずさ)さんが入れてくださったお茶を楽屋でいただいていて、なぜか同じようにお茶をすすっている峠くんに気づいた。
峠くんは湯呑を茶托に戻してから、私をじろりと見た。

……な、なによ。
目つき悪い男ね。

「これ。」
そう言って、峠くんは自分の鞄から私の財布と鍵を出した。

「あ……ごめん……」
受け取るの、忘れてた。

峠くんは私に返してくれると、あっさりと立ち上がった。
「じゃ。ごちそうさまでした。」
「え?行くの?遅れて入ると目立つわよ。終わってから合流したら?・・・君、専門は?」
松尾教授は峠くんを引き留めて、ニコニコしている。
どうやら、峠くんをイケメン認定したらしい。

「……卒論は近世絵画です。」
「版画?」
「いえ、花鳥風月。」

黒子から浴衣に着替えた上総さんが口を挟んだ。
「へえ。峠くんは、美を愛する男?」
そう仰る上総さんご自身、目がちかちかするぐらい美しかった。

首筋細い!白い!色っぽい!
女形(おやま)なのかしら?
でもけっこう背は高いように見える。

興味深く見ていると、上総さんがこっちを見た。
目が合った。
ニッコリと上総さんは笑顔を寄越した。

……胸が……ちょっとドキドキしてしまった。



「お名前は、何とお入れしましょうか?」
上総さんは、3枚の色紙に筆ペンでサインを書きながら、松尾教授にそう聞いた。

松尾教授がファーストネームを告げたせいで、当然のように私も聞かれた。
「学美(まなみ)です。美を学ぶ。」
そうこたえると、上総さんはちょっと笑った。
「へえ。まなみちゃんは、美を愛する『愛美(まなみ)』ちゃんじゃないんだね。美を学ぶんだ。」

「何で笑うんですか?」
ちょっとムッとしてそう聞いた。
馬鹿にされたような気がした。

でも、上総さんは悪びれもせず
「ぴったりで。ねえ?学美ちゃん、真面目そうですよね?」
と、松尾教授と峠くんにまで同意を求めた。

てか、松尾教授はともかく、峠くんまでうなずくって、どういうことよ。
昨日はじめて会ったばかりなのに。

「でも、ほんと、かわいいのにかわいいだけじゃない、素敵な名前だね。とてもよく似合ってる。」
上総さんはそう言いながら色紙にさらさらと筆を滑らせた。

そこには

<学美江>

と、「ちゃん」も「さん」もなしで記されていた。

……。

ドン引きするわ。

無表情で受け取り、心のこもらないお礼を伝えた。



「峠くんは、峠、何て言うの?」
「……一就(かずなり)。数字の1に、就職のしゅう。です。」
かずなり、と読むのかとぼんやり聞いてると、上総さんが顔を上げた。

「へえ。ご縁があるね。僕もかずなりだよ。字が違うけど。和事のわに成功のせいで、和成。」
……こっちのかずなりは、そのまんま、誰でも読めるな。

「歌舞伎役者で成功する運命にあるようなお名前ですよね。」
ニコニコと松尾教授が言った。

上総さんはニッコリと笑って見せて
「ありがとうございます。」
と、手をついて頭を下げた。

……なんとなく、嘘くさいというか……心がこもってない気がした。
てか、この人、綺麗なんだけど造り物っぽい。
顔が整いすぎてるだけじゃなくて、何てゆーか、アルカイックスマイル?
ずっとほほ笑みを浮かべてニコニコしてるけど、目が笑ってない。
ちょっと怖いかも。
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