ほとんどパラダイス
「たぶん、父親は俺の母親を大事に想ってたと思う。指輪だけじゃなく、母や俺が生涯、困らないだけのモノを残してくれたのは義務だけじゃないだろ。でも、どんなによくしてくれても母も俺も所詮、日陰の身だから。……俺は、学美にそんな想いはさせたくない。苦労させるかもだけど、堂々と俺の隣を歩いてほしい。」

そう言いながら私の手を取り、上総(かずさ)んは私の左手の薬指に指輪を滑らせた。
「……これでも大きいのか。学美、マジ、痩せすぎ。」

私の骨々しい指には不似合いな大きな赤い宝石。
やっぱり、これ、プロポーズなのか。
本気で動揺した。
女として、うれしいに決まってる。
でも……私は……。

「……私も、上総んに堂々と光の中を歩いてほしい。……そのためには、私じゃダメだと思う。」
ずっと思っていたことを、初めて上総んに言った。

上総んの顔が表情を失った。
どう言えばわかってもらえるだろう。
私自身も葛藤しているのに。

「俺は学美じゃなきゃ、嫌だよ。」
絞り出すように、上総んはそう言った。

涙がこみあげてきた。
「ありがと。うれしい。私も……理性では早めに別れたほうがいいってわかってても、離れられない状況。このままずっとそばにいたら、日陰の女コース一直線。」
自嘲するつもりはないけど、言ったら、涙がホロホロとこぼれ落ちた。

上総んは珍しく声を荒げた。
「させへんって言ってるだろ!」
……半分京言葉だから迫力はないけど、上総んの本気はよく伝わってきた。

てか、今さらよね。
上総んが本気なのはとっくにわかってたのに。
だからほだされたし、ずるずるとココまで流されて来たんだけど。

どうしよう。
今、別れる必要はない気はする。
でも、未来がないなら早く別れたほうがお互いのためなんだろうな。

上総んがそっと涙を拭いてくれた。
「……周囲から、何も言われへん?将来のこと。結婚のこと。」
せつなげな顔を見上げてそう聞いてみた。

「……ないわけじゃない。そういう歳だし……そういう立場だし……」
言葉を濁す上総んに、苦笑して見せた。

「気ぃ遣わんでいいよ。わかってるから。……無碍(むげ)に断らないで、ちゃんと考えて。お話をくださるかたは、上総んのために仰ってくださってるんだから。その中で、上総んがイイと思える人がいればラッキーなんだし。」
自虐的なことを言ってる。
でも、仕方ない。

「学美……物わかりよすぎて、ムカつく。」
「今は、ね。実際に、別のヒトとの縁談が進んだら、取り乱して、上総んにすがるかもよ?」
そう言って、上総んの胸に頬を押し付けて、ぎゅっとしがみついた。

……今だってこんなに苦しいのに……本当に、その時が来たら、私は……耐えられるのだろうか。



千秋楽の夜、上総んは東京に帰ってしまった。
1月2日には、浅草で花形歌舞伎が開幕した。
上総んは、予想をはるかに超える高評価を得た。
勢いが止まらない。
テレビや雑誌の取材も受けた。
……映画やドラマの話も来たらしいけど、芸が荒れるから、と、蓬莱屋の8代目に反対されたようだ。
私もそのほうがいいと思った。

確かに上総んは、かっこいい。
でも、容姿や、12代目の隠し子という事情以上に、舞台での実力が、今の上総んを後押ししてることは間違いない。
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