ほとんどパラダイス
「あの、私、紫原学美と申します。なか……」
「紫原さま。お待ちしておりました。どうぞ、ご案内いたします。」

上総さんの名前を出す前に、フロントのおじさんが恭しくそう言って、カウンターから出て来た。
なぜか荷物まで持ってくださって恐縮する。


エレベーターに乗り込むと、最上階のボタンを押された。
ビジネスホテルでもレストランがあるのかしら。

エレベーターを降りると、何だか様子が違った。
明らかにビジネスホテルじゃない毛足の長い絨毯。
お部屋のドアも重厚で大きい気がする。

「こちらです。」
そう案内されたお部屋のドアにはルームナンバーの代わりに、金色の文字。

<Presidential Sweet>

……ぷれじでん……しゃる……スイート?

ホテルマンがチャイムを鳴らすと、中から上総さんが顔を出した。
「いらっしゃい。」
洋服の上総さんは、ハッキリと、かっこよかった。

反則だわ、これ。
目が離せない。
やばい。
やばいわ、私。
どう考えても、流される。

上総さんは私を招き入れて、ホテルマンに食事を運ぶようお願いした。
夕食、ココで食べるの?

「……帰ります。」
私は上総さんを見ないように、クルッとUターンした。

「え?どうして?」
「男性の部屋になんて、入れません。」
「違うよ。俺の部屋じゃない。」
上総さんはそう言って、ドアに手をかけた私の手に自分の手を重ねた。

「手!」
慌てて手を引っ込めようとしたけれど、逆にグイッと引き寄せられた。

また!
放して!……と、普段なら暴れるところだけど、今日は動けなかった。
上総さんが、ぐいっとお顔を近づけて、至近距離から私の目を覗き込んだのだ。

近い近い近いってば!
……近くで見ても、綺麗な顔。
やばい。
うっとりしちゃう。

「……怖い?俺が、じゃなくて、男が?」

そう聞かれて、私は唇を噛んだ。
口惜しいけど、その通りだ。
硬直して、うなずくこともできなったけど、唇はかすかに動いた。

「退(ど)いてよ。」

上総さんは、くっつきそうな至近距離でジーッと私を見つめてから、ふっと笑った。
まるで花が咲いたようなその笑顔に、自分の鼓動が本当に恐怖のせいなのか……もしかしたら、ときめいているんじゃないか……と、自信がなくなった。

「唇が震えてる。怖がらせるつもりはないから。」
そう言いながらも、上総さんは離れてくれなかった。

「……退いて。」

繰り返してそう言うと、上総さんは眉をひそめた。
「やだ。退(の)いたら、帰っちゃう気だろ?」

ぼんやりと、越(えつ)の西施(せいし)みたいな奴……と思った。
……「顰(ひそみ)に倣(なら)う」の故事のように、綺麗なヒトは顔を歪めても綺麗なんだよな~。
まあ、西施は絶世の美女で、上総さんは男だけど。

私の表情がやわらいだのを上総さんは自分に都合よく曲解したらしい。
「ね?すぐ慣れるよ。危害を加えるつもりも、無理強いする気もないから。」

慣れる?
この顔に?

美人は三日で飽きるって言うけど……このヒト、中身もちょっと曲者っぽい。
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